平家物語「鹿谷5」

2020-07-23 (木)(令和2年庚子)<旧暦 6 月 3 日> (友引 丁卯 六白金星)海の日 Emma 第 30 週 第 26095 日

 

東山のふもと鹿の谷といふところは、うしろは三井寺に続いて絶好の城郭をなしてゐた。俊寛僧都の山庄があった。ここが平家を滅ぼさうと企てる人たちの集まる場所であった。ある時法皇も来られた。浄憲法印がお供であった。信西藤原通憲)の子である。その夜の酒宴で、法皇は浄憲法印に計画について話されると、浄憲はもうびっくり仰天で、「このことが漏れましたなら天下の一大事になります」と騒いだ。成親は顔色が変はってサッと立ち上がった。すると、衣服の袖にひっかかって瓶子がたおれた。法皇は「これはたいへん」と仰せになると、成親はすかさず「平氏が倒れたのです」と申し上げた。法皇はすっかりご機嫌をよくされて「皆のもの参って猿楽をせよ」と仰せになった。宴もたけて俊寛が「さてそれをどうしようかの」と言ふと、西光法師は「首をとるのが一番です」と言って瓶子の首をへし折った。浄憲法印はあまりの恐ろしさに言葉も出なかった。さてこの計画に力を貸した人は誰々であったでせう。近江中将入道蓮浄俗名成正、法勝寺執行俊寛僧都、山城守基兼、式部大輔雅綱、平判官康頼、宗判官信房、新兵判官資行、摂津國源氏多田蔵人行綱をはじめとして、北面の輩多くが力を貸しました。

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教会の垣。