「だから言ったぢゃないの」と言はないで

2020-07-13 (月)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 23 日> (先負 丁巳 七赤金星)下弦 Joel Judit 第 29 週 第 26085 日

 

僕は YouTube をあまり熱心には見ないのだが、それでも全く見ないわけではない。どこかしら距離をとって見ることが多い。防災に関する YouTube を見ることもある。将来起きるかもしれない南海トラフ地震や富士山噴火のことを扱ったものもある。重大な災害を想定して、どんな状況になるかを日頃の生活の中で想像してみることは大事と思ふ。けれどもそんな警告の中に、どこかしら非日常の出現を面白がる口吻をフッと感じてしまふことがある。さう感じるのは、他でもない自分自身にその様な心理が隠れてゐるからかもしれない。とすればその様な心理は自己のうちに戒めなければならないと思ふ。ノストラダムスの大予言もあったが、「災害が来るぞ」と予言する人は人類の歴史とともにあった。でも、イザヤとかエレミヤとか旧約聖書に出て来る預言者は、未来に起こることをあらかじめ推し量って警告したといふよりも、神の啓示を受けて、神の言葉を民衆に語ったのだと思ふ。それで人々から誤解されたり迫害されたりした。予言と預言が日本語では混同され易いかもしれないが、いづれにしてもこのことを思って、普通の人はあまり不用意に警告を発するべきではない気もする。

 

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低い空は透明に近いブルー、高くなるほど蒼が濃くなる。