平家物語「殿下乗合3」

2020-07-04 (土)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 14 日> (赤口 戊申 七赤金星) Ulrika Lilla 第 27 週 第 26076 日

 

清盛入道はこの話を聞くと怒り狂った。「たとえ摂政殿下であろうとも、この清盛の親族には配慮すべきであるのに、幼いものを辱めるとはけしからん。この様なことを許すことから人に侮られる事になるのだ。おのれ、思ひ知らせてくれるぞ。」ところが、資盛の父重盛の反応は違った。「これは少しも腹をたてる様なことではありません。頼政、光基などの源氏どもから侮辱を受けたのなら一門の恥ともなりませうが、摂政殿下のお出ましに会ひながら馬から下りない事こそ無礼といふものです。私は摂政殿にお詫びに伺ひたいくらいだ。」重盛は若侍たちをも厳しく叱った。

しかし、その後になって清盛入道はこっそりと片田舎の荒武者を60名ほど集めた。清盛入道の命令ならどんなことでも従ふといふものどもである。「来たる21日に高倉天皇の御元服の打ち合はせのために摂政殿が宮中へ向かふ事になってゐる。この日どこかで待ち受けて、随身どものもとどりを切り捨てて、孫の資盛の恥をすすげ」と命令した。そんな計略を少しもご存知ない摂政殿下は当日になるとお出かけになった。今回は待賢門から入られる予定である。大炊御門大路のひとつ北に中御門大路があり、西に辿れば大内裏の東の面の中央に出る。これが待賢門である。摂政殿は中御門大路を西に向かはれた。荒武者たちは猪熊堀川のあたりに待ち受けて前後から挟み撃ちに取り囲んで狼藉に及んだ。御随身たちは大事な儀式の打ち合はせなのでいつもより身なりを整へてゐたのだが、突然の襲撃にあって逃げた。それをいちいち追ひ詰めて供の者を馬から引き摺りおろし、何人ものもとどりを切って落とした。「これはお前のもとどりではない。お前の主君のもとどりだと思へ」と言ひ含めてもとどりを切って落とした。御車のうちへも弓のはずをつき入れるなど、あらん限りの乱暴を働いた。それから鬨の声を上げて六波羅へ戻った。清盛入道は「よくやった」と褒めた。彼らが去った後の現場は無残であった。その場に残されたもののうち、鳥羽の國久丸といふ身分の低い男が、さんざんにされた御車を引いて摂政をお屋敷までお連れ戻してさしあげた。藤原不比等から始まって歴代の摂政・関白でこの様な目に合はされた方はひとりもない。「これこそ平家の悪行のはじめなれ」と書かれてある。

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このところ夏にしては気温が低い日が続く。