平家物語「殿下乗合1」

2020-07-02 (木)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 12 日> (仏滅 丙午 九紫火星) Rosa Rosita 第 27 週 第 26074 日

 

さうかうするうちに、平家の悪行を決定づける一事件が起きた。重盛の次男資盛が鷹狩の帰途、殿下の参内に行き合った。資盛は下馬の礼を取らなかった。このことが事件のきっかけとなる。「殿下」は現代では「デンカ」と読み、皇太子殿下、妃殿下などの様に、皇族に対する敬称であるが、古くは「テンガ」と読み、摂政・関白の敬称としても用ゐられた。時の摂政は物語の中では「松殿」と書かれてあるが、藤原基房のことで、松殿基房とも呼ばれた。物語から逸れるが、血筋を追へば、その娘に藤原伊子があり、この方が道元の母上となられた。藤原伊子はあの木曾義仲正室であった時代もあるが、後に源通親の側室となり、道元の母上となられた。源通親の次男は源通具で、新古今和歌集の撰者の一人である。この事件が起きた時(嘉応2年、1170年10月)、摂政藤原基房は26歳であった。高倉天皇はまだご幼少であられたので、摂政としての役目は大きかった。その前年には後白河院が出家され、法皇となられた。ご出家の後も万機の政をお手元に置かれたままで、清盛が心のままに振る舞ふことを面白く思はれなかった。しかし、それを面と向かって御いましめなさることはなかった。そんな状況の中で、殿下乗合事件は起きたのである。

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この数日低気圧で風も強かったが、散歩の時は晴れた。