廉太郎忌

2020-06-29 (月)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 9 日> (先勝 癸卯 三碧木星) Peter Petra 第 27 週 第 26071 日

 

暦を見たら今日は廉太郎忌と出てゐた。瀧廉太郎は東京音楽学校を卒業した後、1901年4月にヨーロッパ留学生として日本を出発し、5月にベルリンに着いた。その後、ライプツィヒ音楽院に学んだが、11月に肺結核になり、帰国せざるを得なくなった。翌年1902年7月にドイツを発ち、10月に横浜へ帰って来た。ヨーロッパ滞在はわづか1年余であったことになる。どんな思ひで故国の土を踏んだかなと思ふ。帰国後は父の故郷の大分で療養したが、1903年の今日、23歳の若さで亡くなった。日露戦争が始まるのはその半年後の1904年2月である。それにしても惜しまれる夭逝であった。作品では「荒城の月」、「箱根八里」などが有名であるが、僕は「花」がとりわけ好きである。武島羽衣によるその歌詞も好きだ。まだ江戸の名残も感じられたかしれない隅田川の透明な水の上を行き交ふ舟の様子が目に浮かぶ様である。僕には大事な青春のうたである。

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夏の夕暮れ