聖木曜日

2020-04-09 (木)(令和2年庚子)<旧暦 3 月 17 日> (先勝 壬午 四緑木星) Otto Ottilia Skärtorsdagen   第 15 週 第 25990 日

 

この週末は復活祭である。今日はもう木曜日になってしまった。キリスト教では今日からの三日間は大事な聖なる日とされてゐる。今日の木曜日はSkärtorsdagen と言って、イエス・キリストが十二人の弟子たちと最後の晩餐をした日とされる。大事なことはこの晩餐が最後であったといふことよりも、晩餐に先立ってイエスが弟子たちに跪きひとりひとりの足を洗ったといふ言ひ伝へであると思ふ。それで、日本語ではこの日は「洗足木曜日」とも呼ばれる。この話を聞くたびに、僕は人間が自らを低くすることの意味について思ひを致さずにはゐられない。昔から西欧社会は自分をきちんと主張する社会で、日本では自分をへりくだることを美德とする社会であると決めてかかる風潮を感じるが、西欧社会でも人の心の奥にはへりくだることへの畏れが息づいてゐる気がしてならない。逆に言へば、その背景があるからこそ自己を主張することに光が当たる気がする。それは万国共通のものと思ふ。背景も何も持たずに、主張するだけ主張して、表面的に謙譲語を使ってやり過ごすだけの日本人がもしゐたとしたら、気をつけないといけないと思ふ。

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同居人は台所に påsk のお飾りをしてくれた。