コロナ危機のその先に

2020-04-02 (木)(令和2年庚子)<旧暦 3 月 10 日> (赤口 乙亥 六白金星) Gudmund Ingemund   第 14 週 第 25983 日

 

危機的状況が眼前に進行する時、人はその行く末を予想しないではゐられない。多くの人は楽観的な方向に期待をかけるが、しばらく様子を見るうちに事態が悪化して、ジワジワと予想の変更を余儀なくされることになる。そしてその様なことを何度も繰り返すかもしれない。別な人は最初からドーンと大きく悪い方向を予想するかもしれない。しかし、どこまで悪い方向にジャンプすれば良いのかはなかなか分からない。このことで、僕がいつも感心するのは、東日本大震災で福島第1原発事故が起きた時の現場の判断である。僕らは結果を知ってゐるから、当たり前の様に廃炉の運命を受け容れてしまふけれども、当時の事故の進行形の状況を思ってみると、つい昨日まで健全に働いてゐた原子炉に海水を注入するといふ判断はどうだろう。原子炉が使ひ物にならなくなっても構はないからやれと、現場だけで判断するのはあまりにも苦渋の判断であったと思ふ。東京からの指令は「海水を注入してはならない」であったが、それに逆らってでもやらねばならないと現場が決断したのは、結果からみると英断であった。今、僕らが現在進行形で直面してゐるコロナ危機も、何かしら、行くところまで行った場合を想定しないといけないのかなといふ気がしないでもない。でも、行くところってどこですか?オリンピックは1年延期が決まったけれども、結局は中止に追ひ込まれるシナリオも無いではない。国際航路の航空便はずっと就航再開ができないかもしれない。JALANAも大変だと思ふ。これまで飛行機は増産を続けて来たが、ボーイングなど米政府の救済がなければ潰れるかもしれない。今年のノーベル賞は大丈夫かな。それともっと切実なところでは食糧危機が起こるかもしれない、、、。しかし、悪いことをあれこれ予想してみても始まらないとも思ふ。大事なことは、今回の危機をバネにして、人間が新しい時代をいかに創出できるかであると思ふ。

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雲が空を一直線で遮る時がある。