旅行の第6日ーブドヴァ(モンテネグロ)

2020-02-13 (木)(令和2年庚子)<旧暦 1 月 20 日> (友引 丙戌 二黒土星) Agne Ove 第 7 週 第 25934 日

 

7時45分にIgaloのホテルをバスで出発した。8時20分にKamenariといふフェリーの発着所に着いた。対岸はLepetaniといふ発着所である。海峡を5分ほどで渡った。そこからしばらくのところにヨットハーバーがあった。いくらするものか想像もつかないほど豪華な大型ヨットがたくさん並んでゐた。また岸には豪華なリゾートマンションが並んでゐた。主にロシアの大富豪たちのものであるとガイドさんは言った。そこでしばらく休んだ後、更にTivatの方へ向かった。この辺の地理がどんな風になってゐるのか、初めての人は、地表を走るだけでは全く分からないだろうとガイドさんは言った。後で地図を見てみると、なるほどとガイドさんの言ふことがわかる気がした。ガイドさんはまた、旅行会社のオフィスでデスク作業ばかりする人は、現地に行ってみたこともないのに旅行のプランを立てることもあり、そんな場合には現場では案通りには進められないこともあるのだと言った。まるで本社の設計部と建設現場との乖離の様である。どんな仕事でも似たようなことがあるのだなと、僕は妙に納得した。実際今日のスケジュールはあまり良くなかった。バスは DIANA JEWELRY といふ宝石のお店と CATTARO LEATHER といふ革製品のお店とに寄った。それから午後になってブドヴァの旧市街に行った。1979年に大地震があってこのあたりのほとんどの建物が崩壊したといふ。しかし、この地震があったことで5世紀ごろのカソリック教会の遺跡が見つかったりもしたとガイドさんは言った。約600年ほど続いたローマ帝国は400年頃に西ローマ帝国東ローマ帝国に分かれるが、ブドヴァといふ町はその境界にある。自由時間にもう少しこの町をゆっくり見たかったのだが、腹が減って食堂に入ったらなかなか食事が出てこなくて待たされて、すぐにバスの集合時間になってしまった。ブドヴァは良い町だと思ふが、豪華な建物の建設ラッシュが続き、億万長者たちの町になりつつあるようで感心しない。この後、バスはSveti Stefanにも回ってくれた。ここもモンテネグロを代表するような高級リゾート地であり、有名人たちに人気があるところであると説明を受けた。夕方の逆光で写真はうまく撮れなかった。夜泊まったホテルでは、夕食後に民族踊りのミュージックショーがあった。

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1979年の大地震で旧市街のこの建物は倒壊しなかったが壁に亀裂が残った。