旅行の第5日ーポシテリ、絨毯センター。その後モンテネグロへ

2020-02-12 (水)(令和2年庚子)<旧暦 1 月 19 日> (先勝 乙酉 一白水星) Evelina Evy 第 7 週 第 25933 日

 

宿泊したMedugorjeのホテルの設備などは質素であったが、それなりに落ち着いて良い感じがした。朝9時にホテルをバスで出発した。バスは山岳地帯を走り、広大な荒れ地や山また山を縫ふ様に走った。行けども行けども人の住む里は無かったが、Pociteljといふところで休憩となった。この国の水の資源として重要なネレトヴァ川はPociteljの近くで浅瀬になってゐる。そこでは昔から人も動物も歩いて川を渡ることができた。ここはキャラバンが利用する道でもあった。キャラバンは1日に20~23kmを移動したと言ふ(ちなみに東海道五十三次の場合は計算すると平均9kmごとに宿場があったことになる)。彼らは朝ひとつの場所を出発すると歩き続けて日が暮れる前に次の場所に野営する。夜になると野営地のゲートが閉まって、翌朝まで施錠される。早く起きた人が抜けがけして早く出発することは許されない。全員が自分の持ち物が確かにあると確認された後に解錠されるといふ。Pociteljはその様な野営地のひとつであった。ガイドさんの話を聞くうちに、この野営地で漆黒の闇に星ばかりが輝く夜空を想像した。その辺りの細い道は石畳になってゐるのだが、歩くとまるで足裏にマッサージを受ける様に感じられた。これもオスマン風の石畳の道なのであるといふ。建物の窓の形もさう云へばどこかオスマン風である様にも見えた。その後、バスでカーペットセンターに案内された。思はぬ場所に思はぬお店があった。インドや中国や中央アジアや世界中で生産されたカーペットがここに集められて展示販売されてゐる。この地はアジアと中央ヨーロッパを結ぶ意味では重要な流通路かもしれない。品目がカーペットといふのもどこかオスマン帝国を連想する。多彩な種類のカーペットのプレゼンテーションがあった。あなたの代だけでなく、7代までも続くカーペットもありますと言ふ。1代を30年と見積もると実に200年以上にわたって継承できる豪華なカーペットだ。さらに見る方向によって明るくなったり暗くなったりするカーペットもあった。見るからに高品質のカーペットがたくさん集められて、この様な品はアマゾンでも買へないかもしれないなとふと思った。この国の少ない産業の中で奮闘してゐることが分かった。ボスニア・ヘルツェゴビナにはスプルスカ共和国と呼ばれる区域がある。ひとつの国なのだがその中に別の国がある様な印象も受ける。スプルスカ共和国はセルビア人を主体とする共和国である。その区域への境界に関門はないけれども、バスがその境界を過ぎると道路標識はこれまでとは違ってキリル文字が一番上に表示され、ラテン文字はその下に併記される様になった。その後バスはLjubinje、Trebinjeを通って南下し、国境を越えて、モンテネグロに入った。モンテネグロとは黒い山といふ意味である。Igaroといふ町のホテルに入った。

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ポシテリにて。