旅行の第4日ーボスニア・ヘルツェゴビナへ

2020-02-11 (火)(令和2年庚子)<旧暦 1 月 18 日> (赤口 甲申 九紫火星)建国記念の日 Yngve Inge 第 7 週 第 25932 日

 

8時にバスでホテルを出発した。石灰岩が露出する高い山々に海が迫って、クネクネと曲った坂道を長くドライブした。この山の向かうは隣国ボスニア・ヘルツェゴビナである。9時40分頃に国境に着いた。乗客は全員パスポートを出した。他の乗客は全員EUのパスポートであるのに、同居人と僕だけは日本のパスポートであるので、何か言はれないかと緊張した。が、何ごともなく通過できた。日本のパスポートは信頼されるのかもしれない。ボスニア・ヘルツェゴビナの国歌にメロディーはあるが歌詞はないといふ。国がかかへる問題を象徴する話かなと思った。ガイドさんの話ではこの国の別の問題は若者が高い教育を受けたとしてもそれを活かせる仕事がなく、みんな国を出て行ってしまふことであるといふ。失業率も高いといふ。そんな社会では人々の間に不満が大きいかもしれないと緊張したが、町を歩いた時の印象はやや違った。10時過ぎにMedugorjeに着いた。普段は小さな町であるが、キリスト教の巡礼の地で、毎年250万人の巡礼者が訪れるといふ。青い衣に身をまとひ、幼子を抱いた聖母マリアが、6人の子供たちの前に現れたと言ひ伝へがある。その教会を訪れた後、ホテルに行き、その先はオプショナルツアーがあって、Mostar に行く予定で、僕も申し込んであったのだが、僕がヘマをして、それに参加できなかった。それで同居人と僕とは空いた時間にその小さな町でブラブラしたのであるが、これがまた悪くなかった。喫茶店に入って食べるものを注文したら、ハンバーガーよりもっと大きな丸いパンが出て来た。パンの中がえぐられてそこに日本のカレーの様な汁が流し込まれてゐた。スプーンですくって食べると美味しかった。宗教の町であるからなのか、人々は親切で、イライラした感じの人には会はなかった。全くの気のせいかも知れないのだが、過去に高度経済成長を始める以前の日本にもこんな雰囲気の人が周囲にゐた様な気がして、妙に懐かしい様な心持ちさへ感じた。

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多くの巡礼者が集まるといふメジュゴリエの教会