光あるうちに

2020-01-28 (火)(令和2年庚子)<旧暦 1 月 4 日> (仏滅 庚午 四緑木星) Karl Karla H M Konungens namnsdag 第 5 週 第 25918 日

 

もう老人になったけれども、何とか体は動くし、視力や聴力がやや衰へた他にはさほど不自由も感じない。ありがたいことと思ふ。昔の同級生はまだ何らかの仕事をしてゐる人も多いのだし、何もせずに日々を送るのは良くないのかなと思ふこともある。ある日、死が迫った日に、この自由の日々を後悔することはないだろうかと思ったりする。「何もせずに」と書いたけれども、自分ではこれでも色々とやってゐるのだ、といふ気持ちもある。ただ、それはあまりにも取るに足りないことばかりの様に思はれるので、つい「何もせずに」と書いてしまふ。もし監獄に囚はれて自由のきかぬ身になった場合はどうだろう。そんな場合は今よりももっと「何もせずに」ゐなければなるまい。本当の意味で「何もせずに」ゐることはかなり難しいことである。定年後の僕の生き方のひとつは、「能率を求めない」生き方だ。「こんなことをしてゐる時間があるなら、もっと他のことをやった方が良いのでは」と決して思はない様に心がけてゐる。するとイライラすることが少なくなる様な気がする。どれだけ意味のないことであったとしても心を込めてやる練習にはなるかもしれない。重要なことも無意味なことも長い時間のスパンで見れば大差ない気もする。「光あるうちに光の中を歩め」といふ言葉がある。どんな歩み方をするかは人それぞれで違って良いのかなと思ふ。

 

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