善悪の基準

2020-01-15 (水)(令和2年庚子)<旧暦 12 月 21 日> (友引 丁巳 九紫火星) Laura Lorentz 第 3 週 第 25905 日

 

悪いことをしても自省の心が起こらない人もゐる。さほど悪いこともしてないのに、過度に自省する人もゐる。そもそも「悪いこと」ってなんでしょかといふ疑問もある。例へばゴーンさんなどは悪いことをしたとは思ってゐない様に見える。否、彼だってひとりで静かに胸に手を当ててみれば「悪いことをした」と思ふ気持ちもあるかしれないが、少なくともその様な弱味を見せる人ではない。人に弱味を見せない練習のお手本としては鏡の様な人だと思ふ。ところで、「やって良いこと悪いこと」の判別は人生の成長のどこでつくものだろうか。家庭や学校で教育を受けるうちに身につくものかもしれない。多くの人は周囲を見ながらそれを判断の基準にする。「あの人があそこまでやって良いなら私がこれくらいやるのは大丈夫ね」といふ感じ方があるのではないかと思ふ。善悪の基準が相対的であるのだ。自分を周囲に合はせて生きる生き方の負の一面であると思ふ。これに対して、自分自身の内なる声に従って善悪の基準を決める人もあると思ふ。もしかするとその内なる声が聞こえる人と聞こえない人との違ひは後天的な教育によるものではなくて、生まれながらに持ち合はせた DNA によって決まるのではないかといふ気もする。実際、小さな子供達を見てゐると、親に叱られてもないのに、「これはやってはいけないのではないか」と考へる幼児と考へない幼児がゐる様に見受けられる。教育といふのは、多分、その一人一人の持って生まれた本性に応じて、個別に対応していかなければならないものだろうと思ふ。

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