ゴーン元会長の逃避行

2020-01-02 (木)(令和2年庚子)<旧暦 12 月 8 日> 先勝 甲辰 五黄土星) Svea 第 1 週 第 25892 日

 

去年の年末にはゴーン日産元会長が保釈の条件を破ってレバノンに逃げたとのビッグニュースが入った。驚きであったが、あの人ならそれくらいやるかもしれないと後から思ふ。どの様に出国手続きの関所を通過したのか不思議でもある。周到な用意があってのことと思ふ。怪盗ルパンの様な早業にニュースの話題性は一気に沸騰した感がある。ゴーンさんは日産の経営を立て直すことに大きな功績があったのに、最終的には世の人の賞賛を浴びることなく、その反対に人々から謗られて歴史に埋もれて行くのかなと思ふ。「茶の十徳も一度に皆」の感慨もなきにしもあらず、残念だ。その行動は、よくある物語に出てくるわがままな王様の振る舞ひに似てもゐる。日本にわがままな王様は似合はない。王様がわがままであるとえてして革命が起きる。でも、革命によって良い社会になることはどこの世界でも期待できない。格差社会が広がったからと言って「金持ちをやっつけろ」といふ発想ではより大きな混沌を招くだけである。その一方で、僕の気持ちを云へば、ゴーンさんにはやはり逃亡して欲しくなかった。ソクラテスは「悪法も法なり」の言葉を残して毒杯を仰いだといふではないか。ゴーンさんは日本の国へ来て、日本の法律のもとに存在する会社のトップを務めたのだから、最後まで日本の法律に殉じてもらひたいと僕は思ふ。いくつものパスポートを所持し、都合の良いときだけ国際人になるのは卑怯だ。ゴーンさんはレバノンで記者会見などを計画してゐると聞くが、安全地帯に身を置いた上で発する言葉には説得力がない。今回の事件は、日本の司法制度の古い在り方や、日本の不寛容社会を浮き彫りにした一面もある。日本の社会は、匿名のもとにずるいことをする人たちに対して甘い反面で、寛容であるべきところに不寛容を強いるところがある。「悪い奴を捕まえろ、逃すな」ではなくて、もっと自由に発言の機会を与へれば誰も逃げたりしなかったと思ふ。

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曇り空の中に薄い光があって。