大和路 - 仏教伝来の地

2019-03-28 (木)(平成31 年己亥)<旧暦 2 月 22 日>(大安 甲子 四緑木星)下弦 Malkolm Morgan 第 13 週 第 25614 日

 

ブログの表題だけ見てゐると、大和路を何日も旅してゐる様に感じられてしまふが、実のところは3月24日の午後に訪れた場所を、後になって一箇所づつ思ひ出しながら書いてゐるだけである。一日に訪れた場所を一日分のブログにまとめると長くなってしまふので、何日にも分けて書く次第。で、24日の旅はさらに続き、その後、仏教伝来の地へと続いた。桜井市大和川のほとりには大きな石碑が建ってゐた。当時、日本に仏教が入ってくることに関しては賛否両論があったに違ひない。入ってくるのは仏教ばかりでなく新しい文明をもたらすこともあったと思ふ。昔、大陸からの船は難波から大和川を遡って、この辺りの船着場に到着したと伝へられてゐる。僕は現代のイギリスが EU からの離脱の是非を巡って延々と論争する姿を見るたびに、古代の日本の仏教伝来を思ってしまふ。さしづめ離脱派は物部氏、残留派は蘇我氏といったところか。昔は民主的な議会などなかったから武力抗争になってしまった。勝利を得た蘇我氏は仏教を重んじて、皇室との関係を深めていく。ところで、その場所には「梅干しと日本刀」の樋口清之先生の書になる万葉歌碑もあった。作者不詳のうた。それを引用する。「夕さらば かはず鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも」

 

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仏教伝来の地の石碑