大和路 - 山部赤人の墓

2019-03-24 (日)(平成31 年己亥)<旧暦 2 月 18 日>(先勝 庚申 九紫火星) Gabriel Rafael 第 12 週 第 25610 日

 

毎年春には奈良・大和路を散策しようといふ友達との約束があって、今日はその1日目。近鉄大和八木駅にお昼過ぎに集まったのは4名。レンタカーを借りてまづ行ったところは山部赤人の墓。本来は歩いて行くべき場所で、車で乗りつけるのはどうかな、といふ気持ちもあるのだが、許してください。ちょっと盆地風の、里山の雰囲気のあるとても気持ちの良い場所であった。現地の説明書きの表記は山辺赤人となってゐた。ここに本当に山部赤人の墓があるかどうかの詮索はあまり意味がないと思ふ。説明書きにも「伝承そのままが真実であるかどうかは詳らかではないが、ここ大和富士の南斜面に人家の散在する文字通りの山辺の村に、山辺赤人が葬られてゐると、古くから村人は信じて疑はない。」とあった。百人一首の4首目に、「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」といふ歌がある。元々は万葉集の歌であったものが、時代が下ってみやびなしらべの歌に添削されて新古今集に載った。百人一首のおかげで今はこちらの方が有名であるけれども、赤人のために元々の万葉集の歌を引用すると、「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」と力強い(「田辺聖子小倉百人一首」を参照して書いた)。

 

f:id:sveski:20190409040714j:plain

山辺赤人の墓