叔父の四十九日

2019-03-23 (土)(平成31 年己亥)<旧暦 2 月 17 日>(赤口 己未 八白土星) Gerda Gerd 第 12 週 第 25609 日

 

1月の末に叔父が亡くなって、はや四十九日が過ぎた。今日はその法要が叔父の自宅であった。古来からの日本の考へでは、亡くなった人はいきなり黄泉の国へ赴くのではなく、次第に遠ざかる様に旅立って行くのだといふ。叩いた鐘の音が次第に小さくなってやがて静寂に帰するように、それは連続的な過程であるといふのだ。その七日目ごとに法要を営み、その七回目が四十九日で、一応の忌明けである。吉川幸次郎博士の「心喪の説」に、「かの支那の古禮に、水漿を口に入れざること三日、苫に寝ねて塊を枕とし、二十七ヶ月の間は、常の住居に戻らず、婦人を近づけぬ、、、」とある。さらには「親が死んで喪に服するのは、悲傷にひたることによって、人生の最も奥深いものに觸れ且つ考へる時期なのである」ともある。ともすれば現代は、後悔や反省など忘れて生きる方が前向きで価値ありとされる風潮を僕は感じる。しかし、近しい人の死に接した時、胸の内に悲傷と自責、悔恨、思慕を玩味する時がなければ、人間は薄っぺらなものになり果てるのではないかとも思ふ。

 

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故郷の田園風景、奥には北陸新幹線建設工事現場が見える。