昔の仕事の思ひ出

2019-03-04 (月)((未定)1 年己亥)<旧暦 1 月 28 日>(仏滅 庚子 七赤金星) Adrian Adriana 第10週 第 25590 日

 

もう40年以上も前の話だが、学校を卒業して社会に出た時、僕は電機的な仕事についた。工場などで、ポンプを動かしたり、条件によって弁を開閉したり、色々な機器を次々に動かすための電気回路を設計することが仕事の内容であった。広い意味ではそれはプログラミングの一種であったとも言へるかもしれないが、リレーやタイマーや押しボタンスイッチやセンサーなどを組み合はせて、それらの端子間を電線で結んで回路を構成するのである。プログラミング言語は何も必要ない。製品が完成して試運転をする時に、思った通りの動きにならないと回路を修正し、配線をつなぎかへないといけない。それも限られた時間内にやらなければならないので、さうなると結構、大変な作業であった。現場での仕事を最小にすませるためには、前もって図面を見ながら何度も頭の中で動きを追ひかけてみることが大事であった。でも、僕の能力ではなかなか深いところまで読むことができずに周囲に迷惑をかけたことも多かった。表現が大げさすぎるかもしれないが「げに心は熱すれども肉体弱きなり」の如き感慨を持った日もあった。その様なアナログな仕事をしてゐたのだが、そんな世界にもいつかデジタル化の波は押し寄せた。配線はやはり必要であるが、ひとつのコントローラーを用意して、それに入出力をつないでおきさへすれば、コントローラーの中で如何様にも回路の修正ができて、その修正には電線のつなぎ換へは不要となったのである。最初のうちは、そんなものはおもちゃだといふ人もあったが、そのうちに世の中に普及し始めた。仕事のうえでデジタル化を体験したのはそれが最初であった。1980 年代初期であったと思ふ。

 

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家の前の白樺