七十になって思ふこと

2019-02-28 (木)((未定)1 年己亥)<旧暦 1 月 24 日>(赤口 丙申 三碧木星) Maria 第9週 第 25586 日

 

もう七十にもなってしまったが、気持ちだけでも若く保ちたい。気持ちを若く保つには、身の回りの人はみんな目上だと思ふことがひとつの方法と思ふ。もし、今の自分が高校生であったなら、と想像することも面白い。半世紀前、高校生であった僕は工学部を志望して大学に進学したのだが、それは自分がその方面に向いてゐると思ったからではない。何となくそちらの方面に進めば、何かの職業に就くことが容易であらうと思ったからに過ぎない。技術系の仕事に大きな憧れも感じたし、嫌ひではなかったから間違ってはゐなかったと思ふが、本当に適性があったかどうかは今もって分からない。むしろ、今でも方向音痴であることを思へば、僕は本来理工系には向いてなかったんぢゃないかと密かに思ふ。だが、あの時代は技術の進歩の仕方がゆっくりしてゐたから、何かひとつのことを勉強すればそれで食べていけるだらうと甘く考へた。人はパンのみで生きるのではないと言はれても、胸の底では、職業を得て食べて行くことができるかどうかが最も切実な問題であり、それが自分に向いてゐるかどうかは二の次であったのである。七十になって、ここまでの来し方を振り返ってみて、後悔はないけれども、もし、今の自分が高校生で、かつて自分がやって来たのと同じ方法でもう一度やらうとすると、今度は確実にうまくいかないだらうと思ふ。現代の様に技術の進歩が速いと、僕の様なものはついていけなくなるのではないかと思ふ。結局はどんな時代であっても、自分とは何かをよく知ることが大事かなと思ふ。

 

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町の公園のひとつ