叔父の葬儀

2019-02-03 (日)((未定)1 年己亥)<旧暦 12 月 29 日>(仏滅 辛未 五黄土星)節分 Disa Hjördis Kyndelsmässodagen 第5週 第 25561 日

 

日頃から僕は、人の葬式に出るものではない、といふゆるい原則を持ってゐる。この頃は家族葬とかもあるさうで、それはそれで考へ方が自分の原則に近く、納得できるものがある。でも、今日の場合はまた話が別だ。人の死を間近に感じて厳粛な時の流れに身を置くことができた。遠くから弔電や香典を送っておくことでは決して実感できないものをしみじみと感じた。叔父の青春時代は戦争の中にあった。予科練で教育を受け、特攻兵として出撃する前に終戦となって生き永らへた。命をかけて生きた仲間達の結束は固い。同期の櫻の方の弔辞が胸を打った。僕にとってもまたひとつ戦争は遠いものになった。白い棺には海軍の略帽が収められ、棺は旭日旗で覆はれた。そして出棺時に流れた曲はあの「海行かば」であった。その一端を担ぎながら僕はその曲に歩調を合はせた。僕の子供の頃には町外れのあじか山とか呼ばれた丘にみすぼらしい焼き場があった。その煙突から薄い煙が立ち上る様子は、家の前に広がる田んぼのずっと先の山のふもとに見えた。それで、「今日も誰か亡くなったのだ」といふ事を知った。文字通りの意味で野辺の送りといふものがあの時代にはあったのだと思ふ。今はその焼き場は近代的な火葬場になってゐる。叔父の遺骸はそこで一片の荼毘に付された。