「発憤する」といふこと

2018-11-18 (日)(平成 30 年戊戌)<旧暦 10 月 11 日>(友引 甲寅 一白水星) Lillemor Moa  第46週 第 25484 日

 

何かに刺激を受けて自分も頑張らうと思ひ立つことを「発憤する」と言ふ。「発奮する」と書く場合もあるが、「憤り」といふ字が使はれることもある。人生には怒りのエネルギーが大事なこともあるといふことかもしれない。僕も若い時はよく怒ったが、年をとるにしたがって怒らなくなった。それと同時に発憤することも少なくなった。寂しい気もする。怒りは抑へながらその一方で発憤する気持ちの方は持ち続けられないものかなと思ふ。論語には「憤を発して食を忘れ、楽しんで以て憂を忘れ、老の將に至らんとするを知らざるのみ」といふ言葉がある。寝食を忘れるほど何かに没頭できる人はすごいなと思ふ。生きてゐれば辛いことは誰にもあるが、それを楽しむ余裕など普通の人にはないと思ふ。けれども、自分が老いていくことにさへ気づかないほどの一途な生き方は、高齢化社会に生きる現代の老人にとってひとつの理想であると思ふ。まづは刺激を受けるための感覚を磨くことから始めなければならないのかもしれない。

 

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水車小屋の近くで。