「ありがたう」

2018-09-27 (木)(平成 30 年戊戌)<旧暦 8 月 18 日>(先勝 壬戌 八白土星) Dagmar Rigmor 第39週 第 25433 日

 

日本語の「ありがたう」は響きの良い言葉である。英語では ”Thanks” と簡単にいふこともあるが、”Thank you” の方が丁寧かもしれない。が、ここにすでに動詞と目的語で構成される文がある。さすがに主語は省いて ”I thank you.” とはあまり言はない(と思ふ)。なぜ省くかといへば、主語が誰であるかあまりにも明瞭であるからだと思ふ。英語で主語を省くのは例外的な気がする。主語と述語をキチンと備へた言語こそ論理的であるといふ考へは一応その通りと思ふが、話をするもの同士が既に分かってゐることは省く方が日常的には馴染みやすい。日本語は主語を省いても成立する言語である。そのために古文の読解などですごく悩むことも確かだけど。「雨がふる」状態を英語の動詞では rain といふけれども、そんな時は主語など不要ではないかと思ふのだが、形式主語とか言って、it を主語にして文にする。どうしても主語がないと気が済まないものらしい。スウェーデン語では「ありがたう」は ”Tack”と言ふ。もちろん ”Tackar dig” ともいふが、英語よりスウェーデン語の方が日本語の「ありがたう」に近い感じがする。日本の「ありがたう」は元の形は「ありがたし」。あることが難い、こんなことは滅多にない、みたいな意味で、「君が僕にしてくれたことを当たり前だなんて思ったりしないよ」といふ意味の表出だと思ふ。日本語は味はいがあってありがたい。

 

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秋は空から降りて来るのだらうか