プログラミング教育の是非

木 旧暦 7 月 20 日 友引 甲午 九紫火星 Albert Albertina V35 25405 日目

昭和時代の日本の高度成長期に自動車やテレビが一般家庭に普及し始めた時、これからは自動車の構造をしっかり勉強しなければいけないとか、テレビは何故映るのかしっかり勉強しなければいけないとか、まして義務教育でそれらの知識を教へなければいけないなどと言ひ出す人は居なかった。そんな知識はなくとも生活の中に溶け込んで来るレベルのものでなければ一般市民に受け入れられないからである。それなのに、この頃は、AI の時代に備へてプログラミングの教育を小学校の義務教育にすべきだとか、ヘンなことが言はれてゐる。そんな知識がなくても使ひこなせるレベルのものでなければ製品として出回るのは失格なのである。ソフトウエアの中身がどうなってゐるのかなといふことを学ぶのではなく、この様な高度な技術が身の回りに寄せて来た時にどの様に自分たちは対処すべきかを考へられる様にすべきである。そのためには小学生のうちは読み書きと計算がしっかりできる様にしてやりさへすればもうそれで良いのだ。あまり勉強の間口を広げては害があるばかりと思ふ。どうしてもプログラミングの勉強をやりたい子に、「するな」とまでは言はないけれども。

 

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