自分流・認知症を予防する試み ー その1

金 旧暦 6 月 8 日 先勝 癸丑 五黄土星 上弦 Margareta Greta V29 25363 日目

数日前の日曜日(15日)の日本経済新聞町田康氏の「会話の骨法」といふ随筆が載った。その中で一番気になった言葉を転載すると、「常にちょっと無理目、高めの課題を自らに課し、それに向かって努力精進を重ねてきた人間と、頭脳や身体が疲弊するのを避けて常に低めの目標を設定し、ゆとり教育ならぬ、ゆとり人生、を生きてきた人間とでは、様々な点で差や違いが生じる」とあった。なるほど、と思ふ。でも、現代の様に文明が高度に発達して来ると、頭脳や身体を活用しなくなる傾向はあまねく人々に及ぶのではないかと思ふ。水が低きに流れる様なもので、よほど意識して抵抗しなければ自分も流されて行く。昔はそんなことを意識する必要はなかった。意識しなくても普通に生きてゐれば、結構頭脳や身体を使はざるを得ない環境であったからである。実はこのことが、近年、認知症が増え続ける一番の要因ではないかと僕は密かに思ってゐる。長寿化が進んだことで、認知症になる人の数は必然的に増えるし、それぞれに医学的な原因があるのであらうが、それにしてもその増え方は統計的に見れば単に文明の発達に比例してゐる様に見受けられる。若い時によく勉強した人でも、年老いて頭脳や身体を活用しなくなれば、認知症になりやすくなるかもしれない。一人になれば食事も簡単にすませておかうとか、とかく人はイージーな方へ流れやすい。日常生活の些細なことをやるにつけても、頭脳や身体を活用させようとほんの少し意識することは大事ではないかと僕は自分に言ひ聞かせてゐる。年が行けば認知症になるのは必然的な成り行きかもしれない。それがわが身に及んだ時は素直に受け入れなければなるまいと思ふ半面で、できるだけそれを先延ばしにできないかと思ふ心もまた切である。

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