現代の義務教育

土 旧暦 5 月 3 日 先勝 己卯 三碧木星 Axel Axelina V24 25329 日目

学校教育といふものは時代の要請によって変化しなければいけないものだらうか。日本では、江戸時代には人は寺子屋などで勉強したといふが、幕末の頃、諸藩には藩校があって優秀な人材を輩出した。その時に彼らが勉強したのと同じ方法で、今、僕らが勉強しても意味がないのだらうか。明治時代になると教育勅語が現れた。教育勅語にある様な生活態度を実践すれば人間は立派になれると考へる人は今も居る様であるが、僕はさうは思はない。明治時代には日本は近代国家として出発するために国民に義務教育を課す必要があった。商人の子もお百姓の子も皆学校へ来て勉強しなさいと説得するためには、天皇陛下のお言葉が必要であった。その意味では義務教育の普及のために教育勅語が果たした役割は大きかったと思ふ。でもそんな教育を受けた人でも、いつの時代にも優秀な人やアホな人は今と同じくらい居たと思ふ。今の時代は、幼年教育から受ける教育に格差があって、義務教育が形骸化してしまった様に見える。不登校の子も増えてゐると聞く。無理に学校へ行く必要もない雰囲気もある。昔に比べれば世の中は複雑になって来てゐるが、時代は変はっても人が成長するのに必要な基本的なことを学ぶには昔も今も同じくらいの時間がかかると思ふ。なので子供向けにあまり欲張りなカリキュラムを課すのは良くないと思ふ。国語を太い基軸に据えて、人として生きるための基本的なことだけ学ぶ。義務教育はそのことだけに専念すれば良いのではないかと思ふ。