一日の長さ

日 旧暦 1 月 3 日 先負 辛巳 六白金星 Frida Fritiof V07 25212 日目

全然見当違ひかもしれないのだが、昨日読んだ「遠い山なみの光」に出てくる会話のなかで、変に僕の気を引いたのは、佐知子といふ女性の次の言葉であった。

「こまごました仕事をやってくれる女中が一人いるとね、悦子さん、ほんとうに一日が長いものよ。靖子さんもわたしも、何やかやすることを探すんだけど、結局一日中座りこんでおしゃべりでもしてるほか、ほとんどすることがないの」(143 ページ)

この様な感想を実感できる人が、忙しい今の日本に何人居るかは分からないが、70 年前には十分あり得たと思ふ。物資は乏しかったかもしれないが、別の意味では潤沢な時間に恵まれた時代であったと思ふ。でも、将来はまたその様な時代に戻る可能性もある。流石に女中の復活はないだらうが、女中といふ言葉をロボットに置き換へてみれば良い。僕も現役時代には、その様な暇な生活を夢見たものだが、仕事を引いてある程度暇な暮らしに慣れてくると、自分は何のために生まれて来たのか、と考へたりもする。忙しい時はそんなこと考へる暇もなかった。考へるべきことが本当はあっても、仕事があるなら仕方がないと、考へないことが正当化されたのだ。自由な時間を手にした人間はそれが予想してゐたほど楽なだけの暮らしではないことをやがて知る様になる。で、僕は掃除くらいは自分でしなければならないと思ってゐる。その方が自分のライフ・クオリティが高まる気がするのだ。それもひとつの口実かもしれないのだが。