ちょっとの話をする時間

木 旧暦 9月 14 日 仏滅 癸巳 四緑木星 Tobias V44 25104 日目

昔に比べると、今は知らない人との間で、ちょっとの話をする機会が減ったのではないかと思ふ。例へば買ひ物。ネットで購入する場合はもちろん、スーパーやコンビニで買ひ物をする場合でも、一言も言葉を発せずにすますことができる。販売の機械化によって、モノを値切って買ふ習慣はなくなった。朝起きてから寝るまでの間に言葉を交はさずに済ましてしまふ人が結構居るのではないか。そしてそれが、すぐにキレて、道路であおり運転をして大事故を起こす様な人間をつくってしまふ遠因になってゐるのではないかと思ふ。幸ひにして僕の住む町では、顔なじみになったせいか、スーパーのレジを打つ店員との間でちょっとした会話をすることもある。日本のスーパーやコンビニでは、店員と客が立ち話をする風景を見かけない。忙しくてその暇もないのだらう。喫茶店は静かにしてないといけない雰囲気だし、人はどこで話に花を咲かせたりするのだらう。居酒屋かな。行かない人はますます孤独になる。同居人は先週だったか、久しぶりに自転車に乗ったが、ヘルメット紐の長さ調節をしてもらふために自転車屋へ行ったらしい。店のおじさんは僕のことも覚えてゐて、「君の旦那は近いうちに冬タイヤに交換に来る季節になったね」と言ったさうだ。時候の挨拶にさりげなく商売を盛り込んでゐる。そこまで覚えてゐられると、交換しに行かなければ、「あいつは何をしてるんだらう」と疑はれるかもしれない。こんな雰囲気は、個人情報保護とかうるさく言はれる今の日本に少ないのではないかと思ふ。僕が子供の頃は、「おしゃべりばかりしてないで真面目に仕事をしなさい」と言はれたものだが、今は反対におしゃべりのない雰囲気が社会を暗くしてゐるかもしれない。