物語を紡ぐ

日 旧暦 6月15日 友引 乙丑 二黒土星 Alfons Inez V31 25016 日目

色々な会社の上四半期の決算書が出て、それに関連したニュースがついこないだまで毎日の様に流れた。決算書などの元の数字をもし眺めることがあったとしても、僕にとってはそれはただの数字が並んでゐるだけである。それらの数字から、物語を紡ぐことができないからである。でも、これがもし自分の収入や日々の支出に関する数字であるなら、それは自分の生活といふひとつの物語に直結してゐるから、意味を理解しやすい。僕は毎朝の様に体重、脂肪、体温、血圧、血糖値などを測定して表に記入する。この時、昨日食べたものとか、運動量とか、睡眠とかをちらりと意識するので、その数字を手で記入する、まさにその時に、物語が生まれる。物語といふと大げさだが、ともかく僕にとって単なる数字の羅列ではなくなる。年表の数字でも、例へば「794 年桓武天皇の平安遷都」といふ1行を見ても、桓武天皇はどの様な状況で即位されたかとか、その時代の状況をよく知る人にとっては物語があるので、794 の数字が親しみやすい。AI が発達して、自分は覚えてゐなくても、何でもスマホが教へてくれる時代になっても、自分の内側に物語ができてゐなければ AI が教へてくれることをうまく利用できないのではないかと思ふ。その意味では、体重計の測定結果を自動的にスマホに転送しますとか、家計簿をつけなくても自動的にスマホで見られますとかいふサービスは、人間が物語を紡がうとする機会を奪ってしまふのではないかと思ふ。目的や方法は人によってそれぞれだから何とも言へないが、僕にとっては勉強するとは自分の内に物語を紡ぐことなのである。