〓stra klocktornet 焼失

土 旧暦 5月9日 先勝 辛酉 七赤金星 Ingemar Gudmar V22 24952 日目

朝の新聞のトップ記事を見てもうビックリ。新聞といっても地方紙 Södermanlands Nyheter のことであるが、僕らの町のシンボル的建物の一つである Östra klocktornet (東地区の時計台)が焼け落ちたといふのである。事件は昨日の夕方起きたから、町の人たちには昨日のうちに知れ渡ってゐたに違ひないが、僕は今朝になって新聞でそれを知った。長年この町に住む者にとっては、金閣寺焼失事件と同じくらゐショッキングなニュースだ(大袈裟かな)。今はいたるところに時計があるから、時計台としての役割は既に終へてゐたかもしれないが、あの建物は町の美しい風景の一部を成してゐた。この時計台の初代は 1625 年に建てられたがわづか 10 年で焼け落ちた。1648 年になって再建が試みられたが、1665 年の町の大火でまた焼失した。3 代目の時計台は当時の市長であった Peter Baillet が押し進めて 1675 年に成った。が、それも 1719 年にロシアに焼かれた。そして 4 代目の時計台として 1725 年に建てられたものが、今に至るまでずっとあの丘の上からこの町を見下ろしてきたのである。町にはいくつかの教会があり、独自の鐘を持たない教会にもここから鐘の音が届いたことであらう。平和で静かであった時代に、町の空に響く鐘の音を僕は想像してしまふ。建物の図面は残ってゐるらしいから、また再建されることであらうが、誠に残念なニュースであった。今日の記事は Södermanlands Nyheter から引用してゐる。また今日の写真はわざわざ現場確認に出かけた同居人が撮ったものである。