脳の磁気共鳴イメージ撮影

火 旧暦 3月1日 先負 甲寅 三碧木星 新月 Malkolm Morgan V13 24885 日目

「もしかして同居人には認知症の初期症状の兆候が見られるのではないか。」そんな危惧をふと抱いたのはもう 1 年以上も前のことである。世の中には認知症の程度を測るテストが知られてゐるけれども、それらのテストは症状がある程度進んでしまってから、「あなたはもうここまで来てますよ」と教へてくれるだけである。その前の段階で現れる種々の小さな異変を見つけて予防するためにはそばに暮らす人の細かな観察眼に頼るしかないのが実情ではないだらうか。認知症でなくても人は間違ひをするものだから、それが病気から来るものかどうかを判定することは難しい。どんな状況であれ、小さな間違ひをその都度鋭く指摘することは良くないと思ふから、相手が間違へてもなるべく「今、君は間違へたよ」と言はない様に心がけてゐる。自分の方が間違ふことだってもちろんあるからだ。そればかりでなく、「認知症」とか「老人ボケ」といふ言葉を日常会話の中で ーどんな文脈で用ゐるにせよー 使はないことを僕は心がけて来た。娘に女児が授かってからは僕らは週に一度の割合でストックホルムの娘のアパートを訪ねる様になったが、これが今の同居人の最大の生き甲斐である。僕は自分が感じる疑ひを誰にも言はずにゐたが、同居人と娘との会話の中で娘が小さな異変に気付いた時、それが身内によって発見されたことが僕には救ひであった。それにしてもこれはやはり病院で一度みてもらった方が良くはないかと思はれたのだが、本人の気持ちもあるから言ひ出すことが難しい。今、日本に来たのを機に、日本で検査を受けてみないかと尋ねてみた。すると本人もまたこれまで悩むこともあったらしく、「受けたい」と言ったので、お医者さんをしてゐる昔の友達に連絡して、今日、病院へ一緒に行って、MRI の検査を含めて受けて来た。その結果は良好で、特に脳が縮退してゐる様子もなく、異常は見られなかった。安心した。それならば、これからは努力次第で、認知症を回避する余地があるに違ひない。認知症はひとりでに進むものではない。周囲の人との関係の中で進むものだ。同居人の認知症を回避できるかどうかの責任の一端はこの僕にあるのだとの思ひを新たにした1日であった。