立花隆の「武満徹・音楽創造への旅」を読む

水 旧暦 8月7日 友引 壬辰 二黒土星 白露 Kevin Roy V36 24672 日目

人は誰も自分のことを誰にでも洗ひざらひに語ることはできないが、もしも、自分のことを本当に分かってくれる人がそばに居れば、その人に対してなら思ふ存分語ってみたいと思ふことがあるだろう。武満徹にとって立花隆はおそらくその様な人であったに違ひない。武満徹の没後20年となった今年、かつて6年にわたり「文學界」に連載された記事がまとまって一冊の本となり、文藝春秋社から出た。書名は「武満徹・音楽創造への旅」。立花隆はこれまで田中角栄研究やサイエンス関連の著述などで著名な活動をしてきたが、それらの実に多彩な著述の合間に、音楽をめぐるこの様なすごい人間の記録の満載の記事があったとは、この本を手に取るまで知らなかった。立花隆武満徹へのインタビューだけでも、もうライフワークになりさうなほどの精力を注ぎ込んでゐる。そしてその成果は武満徹ひとりの枠にとどまらず、日本の戦後文化史を俯瞰するだけの広がりを見せてゐる。僕はこれまで武満徹の音楽を聞いても「ふーん」と思ふ以上のものはなかったのであるが、この本を読んでから、はっきりと目が覚めた気がする。音楽そのものから直接受け取られなかったといふ点で、それは作曲家にとって不本意な分かってもらひ方であったかもしれないが、音楽とは何かを真摯に問ひ続けた人間の軌跡は、単に音楽にとどまらぬ広がりを持って人に作用するものであると思った。前衛芸術と言へば、奇を衒った表現を見つけ出すことに価値を見出す芸術家も居ると思ふが、武満の場合はもっと広く音楽の本質に迫る態度で一貫し、そのことで悩み抜いたから普遍性が備はったのだと思ふ。普通の音楽は向かうからやってきて、朗々と周囲の空気を震はせて響く。こちらとしてはただ聞き流すこともできる。だが、武満の音楽は、聞くためにこちら側に準備が要る。耳を澄ましてこちらの神経を集中させなければ聞こえてこない音楽の様に思はれる。そんな音楽であることの秘密がこの本を読むと分かってくる気がする。だが、その目覚めの先にあるものは、宇宙の根源とか、生と死の二重性とか、僕らがいくら考へても尽きることのない不可思議な世界への誘ひである。この本は武満徹のことを僕に教へてくれただけでなく、立花隆といふ人についても今までとは違った印象を受けた。膨大な長さの連載の初めから終はりまで、分かりやすく読みやすく面白い。それでゐて、この本は立花隆の遺言の書でもあることを僕は感じた。