イボのその後(2)

火 旧暦 7月21日 先負 丁丑 八白土星 処暑 Signe Signhild V34 24657 日目

人は病気になれば病院へ行く。病院へ行けばドクターはいろいろな方法で患者を治療してくれるのだが、何故患者が病気になったのか、その原因の究明まではあまり注意を喚起してくれない様である。投薬、注射、手術。どれをとっても病気をやっつけるための手段であって、それはそれで、病気が治るなら患者にはありがたいことに違ひないが、何が原因でかうなったかを考察することも大事ではないかと思ふ。もしも病院でドクターに「僕はなぜこんな病気になってしまったのでせうか」と質問してみたらどうだろう。その質問自体がきはめて異質に受け取られると思ふが、多分返って来る答へとしては、「年をとれば誰でもさうなりますよ」とか、「無理をしたからではないですか」とか、「生活習慣が悪かったのですよ」くらゐの程度のものではないだろうか。医者も、患者も、あるひは社会全体が、「人が病気になるのは仕方のないもの」といふ諦めを最初から決めてかかってゐる様な雰囲気がある。本当にさうだろうか? 何か明快な原因と結果の関係が潜んでゐる場合もあるのではないだろうか。社会の出来事ではちょっとした事件や事故が起きると、徹底して原因究明を糾弾し、再発防止策をやかましく問ふのに、自分が病気になった時だけは「自然になったのだから仕方がないもの」と早々に諦める雰囲気があるのは僕にはやや不思議に思はれることである。病気の原因を知ることは、次の病気を未然に防ぐためにも大事なことではないかと思ふ。