アメリカは何故原爆を投下せねばならなかったか

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アインシュタインの手紙(正確にはシラードが起草した手紙にアインシュタインが署名した手紙)がきっかけとなって、アメリカではマンハッタン計画が極秘のうちに進められる事になった。計画を命令したルーズベルト大統領は1945年4月に死去し、原爆の完成を見る事はなかったが、時の副大統領トルーマンはこの時までマンハッタン計画のことを知らずにゐたといふ話をどこかで聞いたことがある。真偽のほどは知らないが、それほど極秘に進められたプロジェクトであったといふ事と思ふ。そのわづか3ヶ月後の7月にニューメキシコ州アラモゴードで人類初の原爆が炸裂した。実験に立ち会った人々は、これは科学者が計算違ひをしたに違ひないと思ったほど、その破壊力は想像を絶するものであった。その頃になると、アメリカの議会で不明な巨額の出費について疑惑が持たれ始めた。戦略上、極秘プロジェクトのことを公には出来ないし、議会では予算について答弁しなければならない。何としてでも日本が降伏する前に原爆を投下して、その効果を世に知らしめさへすれば、<そんなものを拵へるためにお金がかかったのね> と、この疑惑に対し、無言の回答を与へることができる。さう考へたアメリカは日本に何としても降伏して欲しくなかった。何が何でも降参する前に原爆を落とさねばならない。かくして、急ぎに急いで8月6日の運命の日を迎へることになった。「戦争を早く終結させるため」といふのは全く後知恵の名目でしかない。そのことを多くの人々に知ってもらひたいと思ふ。