遺品整理

水 旧暦 4月5日 友引 癸巳 六白金星 Märta Märit V19 24553 日目

今日は故郷を後にしてもう成田空港まで来た。2か月近い滞在であった。例年と同じ様に今年も家の片付けを少し進めることができた。家の片付けなどは短時間でテキパキとやって次にやりたいことに移れば能率が良いのかもしれないが、結構欲張りな日課を持つ僕は、毎日の普通の暮らしをするだけで生活時間の大半を使ってしまふ。そこへ「片付けの時間」を割り当てるのはなかなか大変で、結果的に片付けは少しづつしか進まない。でも、片付けを少しづつ進められるといふ事は、実は片付けがかなり進んだレベルに達してゐるといふことでもある。今回の片付けでは父との時間を共有することが多かった。自分が仕事をしてゐた時は、父の人生に想ひを馳せてみることなどなかったが、父の卒業アルバムなども出てきて、その生きた足跡を辿るきっかけともなった。父は昭和15年に台中師範學校を卒業してゐる。当時は台湾は日本の一部であった。どうして台湾へ行ったかな、台湾への航路はどの港から出発しただろうかな、と思ったりする。卒業アルバムの表紙には2600と書かれてゐる。当時、皇紀は2600年であったのだ。片付けは昭和の歴史の身近な部分の反芻でもある。父はその後、塩水小学校といふところでしばらく教師をしてから戦争に取られた。後年、愛読した文藝春秋も捨てずにあったのでそれらを年代順に並べて保管することにした。それは亡くなった年の亡くなった月まで続いてゐた。

この頃、「遺品整理お任せください」といふ広告を見ることがある。忙しくて自分では親族の遺品整理をできない人も多いのだろう。でも、遺品整理の行為の中に故人を偲ぶこともあると思ふ。年忌が来てお寺さんを呼んでお経をあげてもらふことだけが供養ではないと思ったことだった。