消えた郵便箱

水 旧暦 11月20日 赤口 庚辰 八白土星 Abel Set V53 24420日目

僕の家から歩いて数分のところにスーパーマーケットがある。日常の買ひ物は大抵この店で済ませる。買ひ出しにガソリン代も手間もかからないので、仮に物価が少し割高であったとしても助かる。スーパーのレジでは切手販売や小包発送、書留受領などの郵便業務もやってくれる。スーパーは営業時間が長いのでこれも助かる。郵便局の本局の様なものが町にあることはあるが、昼間の時間帯でも閉まってゐる事が多い。日本の24時間オープンのゆうゆう窓口など望むべくもない。あれは僕に言はせればサービス過剰である。日本も地方都市の人口が減ればその様なサービスは消えると思ふ。で、本局でなければ受け付けてもらへない業務は結局何も無いので近年はそこを利用した事が無い。話が脱線したが、ここで近くのスーパーに話を戻す、スーパーの入口の前には郵便箱(ポスト)が設置されてゐる。毎日1回午後5時に郵便車が集めに来るのであるが、先週末の間に忽然としてそのポストが消えた。もうビックリである。多分防犯カメラも無いと思ふし、犯人は見つからないのではないかと思ふ。何か高価な貴金属とかが盗まれるのでなく、一般の人たちの投函した手紙がポストごと盗まれるのも不思議な話である。片思ひの恋人に書いた手紙を投函してしまってから後悔して、それを取り戻さうとしてポストごと盗んだかな?そんな時代ではありませんよね。一般の人たちの手紙のやり取りが幸せの象徴の様に感じられて、それが妬ましくて起きた犯罪かもしれない。これとは別だが、数週間前にはやはり近所で自転車が大量に盗まれた。おそらくトラックで乗り付けて大量に盗んで行ったのだと思はれる。僕らの日常生活のすぐ傍までこの様な犯罪が迫ってゐる事が僕にはなんとも憂鬱である。善意だけでは知らない人に接しられないちょっと悲しい傾向ではある。特に子供達がその様な社会で育つのは精神的にも良くないと思ふ。人を疑ってはいけないが、これらの事件の発端は難民の受け入れ増加とどこかで繋がってゐるかも知れず、もしさうなると、また、民族主義者らによる難民受け入れ反対の動きが大きくなるのではないかと、負の連鎖を僕は心配してゐる。