戦後70年の新聞記事

月 旧暦 6月26日 先勝 戊午 九紫火星 Lars V33 24289日目

今年は戦後70年といふ節目の年で、広島と長崎に関する特集や記事がスウェーデンでもかなり報道された。今日の地方の新聞 (Södermanlands Nyheter) には9日の長崎の記念式典のことが国際記事の欄に、それも割と大きな記事で、老婦人が手に数珠をかけて静かに祈る姿の写真も付いてゐた。この国の地方新聞で日本の記事を目にすることは滅多にない。それだけ国際平和維持に関する感度の高い国であると思ふ。記事には安倍首相の「日本には核兵器なき世界の実現に貢献する使命がある」といふ発言が引かれてゐた。3日前の広島の式典では非核三原則に触れられなかったが、野党からの批判を受けて長崎では触れられたとも書いてあった。さらに、国民の大多数の反対をよそに数日後には原子炉の再起動が予定されてゐることにも触れられてゐた。

福島であの様な大事故を起こした後では反対する人が沢山ゐることも気持ちとしてはよく分かるが、僕は原子爆弾原子力の平和利用とはきっぱりと分けて考へる必要があると思ふ。原子力が無くても日本はやって行けるではないかといふ楽観論に僕はくみすることができない。このところずっと原油が安い方向に推移して来たから日本にとってラッキーであったけれども、自分たちの努力が実ったゆえに原油価格が下がったのではない。自分たちの御することのできないどこかで価格は決められてゐるのであり、この先、何かの拍子に引き上げられる可能性はある。それに、購入の仕方によっては日本から流出する巨大なお金がテロリスト集団の軍資金に使はれてしまふ恐れがないかも心配である。太陽光発電などで供給源を増やす努力はこの先さらに必要だが、それは火山灰などで使用不能に陥るリスクもある。個人ひとりひとりとしては節電ライフへの努力がいよいよ大事と思ふが、社会としてはどんな非常時にも安定した電源供給が約束された社会であって欲しい。新聞記事から色々と思ったが、日本はあまりに容易に原子力発電から撤退すべきでは無いと思ふ。