プライバシーの将来

日 旧暦 6月11日 仏滅 癸卯 六白金星 Jesper V30 24274日目

ひと昔前は卒業生名簿を作成するのは簡単であったが、今は個人情報保護とやらで作成がむつかしいらしい。人はFacebookSNS などでお互ひに連絡し合ふ。でも、さういふ手段を持たない人は誰からも音信不通となり、ひとりひっそりと生きることになるのではないか。「クラス会があります」といふ通知も絶えて届かない、さういふ人にとっては昔の様に郵便で通知が来る方が社会と繋がるキッカケがあったかもしれない。情報社会になればなるほど情報に接しられない人が出てくることはないだらうか。

犯罪が増えるにつれて種々のセキュリティが強化され、個人的情報が社会に提供されてしまふ。でもそれは仕方のないことであると思ふ。自分の情報が社会に漏れたとしても、もし自分が徹底的に社会から無視されたらどうだらう。せっかく漏らしてあげた情報なのに誰も注目してくれないとしたら、畢竟それは秘密であることと本質的な差異はない。安全社会では高いセキュリティー技術のもとに自分を隠すことができなくなるが、それはそんなに不都合なことだらうか。今は五知と言って「天知る、地知る、我知る、人知る、ネット知る」。そんな社会では、誰も何も隠せはしない。そんな社会では「知ってるけど知らないふりをしてあげる」優しさが今より意義深いものになるかもしれない。