無条件降伏

日 旧暦 7月22日 仏滅 庚申 七赤金星 下弦 Verner Valter V33 23930日目

69年前、日本はアメリカに負けた。無条件降伏と言ふ負け方で負けた。領土をどうするかとか、戦後処理をどうするかとか、色々と考へれば降伏するのに無条件であることなど、実質的には考へられない気がするが、それでもその表現にこだはったところにアメリカの意図が見てとれる。完膚なきまで討って、日本が再び勢ひを持ち返すことの無い様にと言ふ意図もあったらうと思ふ。無条件で降伏する事を受け入れた日本人は、当初、各個人のレベルでは恐怖におののいたのではないかと思ふ。当時はまだ、戊辰の年に新政府軍が会津を滅ぼした時の様な残酷な扱ひが民族の記憶として残ってゐたのではないか。そして、当時の日本の空気の野蛮性から推して、もしも、日本がよその国を無条件降伏で負かしてゐたなら、その地でどんなことをしでかしてゐたか分からない。それを自分たちがやられる番だと想像すれば、彼らは恐怖におののいたに違ひないと思ふのである。ところが、颯爽と現れたマッカーサーがその後施した処理はその様な想像とはかけ離れたものであった。戦ひの停止を告げる玉音放送を聞いてホッとしたと言ふ体験談を聞く事があるが、本当にホッとして平和のありがたさを噛み締めるのは、多くの人たちにとって、自分たちには残酷な仕打ちが与へられないと分かってからではないかと思ふ。その後、「青い目のタイクーン」と呼ばれたり、「松傘さま」と呼ばれたり、マッカーサーが日本人の間で大きな人気を集める背景には、大きかった恐怖への反動があったと思ふ。その後、日本人は民主主義を受け入れる点では多分アメリカが予想してゐた以上に優等生であった。そして、そのことが、完膚なきまでやっつけた筈の日本がいつの間にか再生した理由であったとも思ふ。