初夏の音楽礼拝

日 旧暦 5月4日 友引 癸卯 七赤金星 Gun Gunnel V22 23853日目

僕はキリスト者では無いのであるが、スウェーデンに住んでゐると何となくキリスト教を身近に感じる。それは、毎日眺める暦や、季節の行事や、地域の風習などがどこかで宗教と結びついてゐるからだと思ふ。世界中どこへ行っても、あらゆる宗教と文化とはそれぞれの地域の人々の暮らしに深く根ざしたところに何か本質的なものがある。だから宗教も文化も本来は輸出できないものではないかとも思ふ。宣教師が海を越えて見知らぬ国に布教活動をすることも、和食を世界遺産に登録して世界に広めようとすることも、かなり無理な部分が最初からあるだらうと僕は内心で思ってゐる。同居人は昔日本で暮らしてゐた頃からキリスト者であったから、こちらへ来てからもごく自然に近くの教会へ行き、近所の人たちともお付き合ひをしてゐる。するとそれに導かれる様に僕も顔見知りの人が出来る。同居人が此の様な積極性を持ってゐてくれるからこそ、僕たちは見知らぬ土地に来て長いことやってゐられるのだと思ふ。日曜日の今日は同居人は朝早くから仕事に行き、午後帰って来ると一休みして夕方からの礼拝に出かけた。音楽礼拝であると言ふので、急に思ひ立って僕も付いて行くことにした。二人の女の人が前に立って、牧師の礼拝の前後に歌ふ。そのうちのひとりはギターをつま弾きながら歌ふ。ライラックも咲き始めた初夏の明るい日差しの中に歌声が流れて、ちょっと良い時間であった。