事故の反省

木 旧暦 3月30日 友引 乙亥 六白金星 Reidar Reidun Kristi himmelsfärds dag Europadagen V19 23466日目

それにしても今回の事故で、色々と反省した。何故事故を起こしてしまったかについては一昨日書いたけれども、事故が起きる原因は実は非常にたくさんあって、それらが複雑に組み合わさってその結果がひとつの事象として現れるのだと思う。そのような原因をひとつひとつ丁寧に検証していくことは事故を起こした本人の責務でもある。いつも神仏に守護されていることを感じているとはいえ、感謝を口にしながら、いつの間にか、守護されて当たり前のような気分になっていないかをまずチェックする必要がある。このところ、調子に乗りすぎていた。まだ会社勤めの身でありながら年金生活に入った場合を夢見て、家に帰ってから隠居暮らしの予行演習に余念が無い。それで毎日が余計に忙しくってしようが無かった。会社と家とを往復する自転車の平均的なスピードも事故を起こす前にはかなり速くなっていたことも事実である(それでも追い越されることはあっても追い越すことはなかったのであるが)。基本的な心得に間違いがあって、このまま調子に乗り過ぎてはやがてもっと大きな過ちを犯すことになるのでよく気をつけろという警鐘の意味で、今回の事故は起きたのであると僕は解釈している。自分は間違えているのではないだろうかと言う疑いを持ちながら生きることと、不屈の精神を見習って生きることとを両立させることは僕には難しい。