平家物語「大臣流罪 1」

2022-05-09 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 9 日>(赤口 壬戌 二黒土星)上弦 Reidar Reidun 第 19 週 第 26759 日

 

憲法印は、怒りの平清盛に向かって冷や水を浴びせるようなお返事を申し上げてから御所へ戻り、面会して来た様子を後白河院に申し上げた。「さうか、もっともなことだな」と院は他におっしゃることもなかった。11月16日(治承3年、1179年)になると、関白殿をはじめ、太政大臣以下の公卿・殿上人43人が追放されるといふ事件が起きた。これは平清盛がかねてから思ってゐたことを実行に移したのである。関白殿(藤原基房)を太宰師に移し、鎮西(佐賀県といふより、昔は九州全体のことを鎮西と言った)へ流すと決まった。関白殿は「このような世にはどうにもかうにもならないものだ」と言って、鳥羽の辺の古川といふ場所でご出家になった。御年35歳であった。「礼儀作法を良く知り、たいそう智恵のあるお方でゐらっしゃったのに」と言って、世の人々はひどくその出家を惜しんだ。遠流の人が配流の途上で出家した場合、約束の地へは流さないことになってゐた。それで関白殿の場合も、初めは日向国に流される予定であったのが、備前国府の辺の、井ばさまといふところ(岡山県湯迫)に留められることになった。

Anna Lindhs plats, Nyköping

 

東京ラーメン

2022-05-08 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 8 日>(大安 辛酉 一白水星) Åke 第 18 週 第 26758 日

 

日曜日には Stockholm に行くことが多いが、今日も行った。同居人とふたりで行くのだが、娘たちのアパートに着いてからはその日の状況でいろいろである。娘たちは自動車を持ってないので、行ったついでにちょっとした用事をしてやることもある。今日は娘婿と孫と僕と3人で「東京ラーメン」といふお店に入ってみることになった。Stockholm の中心街 Hötorget にある。自動車を地下の駐車場に停めて3人で入ると、午後3時だが数人待ちであった。お客さんは東洋風の顔立ちの人もあるが、生粋のスウェーデン人もゐる。いまや Stockholm でも本格的なラーメンが食べられることが驚きである。世界中どこへ行っても中華料理店はあるものだが、そのメニューに出て来るヌードルは大抵「焼きそば」の類で、麺とスープとがお鉢の中に同居するヌードルは少ないと思ふ。慣れるまでは食べにくいからかもしれない。ラーメンは中華料理のように見えてその実態は和食だと思ふ。ラーメンを愛好する人たちが増えるのは世界平和のために喜ばしいことだと思ふ。パンデミック前に世界中で和食のブームが起きたようだが、これから先グローバル化が減速していくとどのようになるのだろう。そんなことを思ひながら僕はとんこつラーメンを食べた。美味しかった。

Stockholm の Ellen Keys Park で

 

Håll Sverige Rent dagen

2022-05-07 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 7 日>(仏滅 庚申 九紫火星) Carina Carita 第 18 週 第 26757 日

 

昨日までは五月晴れの良いお天気が続いたのだが、今朝起きて窓の外を見ると歩道が濡れてゐた。霧のような雨。ラジオをつければブラームスの音楽が流れてきた。さうか、今日は Johannes Brahms の誕生日であったか、このままこの音楽を聞きながら寝て過ごしたいなと思ったのだが、さうもしてゐられない。と言ふのは今日は Håll Sverige Rent といふ団体が呼びかける社会奉仕の日だ。日本と違って同調圧力はないから、奉仕に参加するもしないも全くの個人の意思による。海辺は今、かつてないほど汚れてゐる。海にたどり着くゴミのほとんどは陸から来るものだ。皆さん今年は近くの海辺のゴミ拾ひをしませうといふ呼びかけである。参加する意思を前もってメールで連絡しておいたので、ゴミ袋や手袋が送られて来てあった。連絡せずに参加することももちろんできるのであるが、さうすると、当日の気分でやめることもある。やはり前もって「参加します」と意思表示をしておくことは大事かなと思ふ。そのゴミ袋や手袋を持って、同居人と一緒に6キロほど離れた Strandstuviken へ行ってみた。キャンピングカーが数台止まってゐた。ゴミを拾ふにも注意事項がある。滑りやすい場所もあるので安全に気をつける、鳥たちの憩ひの邪魔をしない、フィーカを忘れない、などの注意事項がある。海岸を歩けば、思ったほどゴミが落ちてなかった。少し遅く行ったので他の人が綺麗にしてくれた後であったのか、もともとゴミが少なかったのかはわからない。ともかくも集められるだけ集めて家に帰った。同居人はこのような奉仕に参加するのが大好きで、いつも家にしか居ない僕が海辺に誘ひ出したものだから大喜びであった。せっせとゴミを拾ってくれた。良い性格である。ところで、このような活動は、多分社会を良くするのに役立つと思ふ。3,5%ルールといふのを聞いたことがある。バタフライ効果といふ言葉も聞いたことがある。だが、僕の場合は、社会が良くなるかどうかを大上段に構へて議論するよりも、まづ、自分の身近なところ、「いま、ここ」を個人のレベルで綺麗にすることが大事だと思ってゐる。

Strandstuviken の海辺にゴミはあまり落ちてゐなかった

 

神話の中の警鐘

2022-05-06 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 6 日>(先負 己未 八白土星) Marit Rita 第 18 週 第 26756 日

 

テンミニッツTVをたまに見ることがある。京都大学名誉教授の鎌田東二先生の世界の神話の話が面白かった。北欧神話と日本神話に登場する神の共通点などを説明されてゐたが、さらにどの国の神話にしても、その国土が持つ自然現象を反映するものだといふご指摘が面白かった。日本の場合は、火山のはたらきが神話に暗示されてゐるといふことである。このことを最初に指摘したのはおそらく寺田寅彦で、その著書である「神話と地球物理学」といふ本をかなり丁寧に引用されてゐた。例へば「国生みの神話」は海底火山の噴出、地震による海底の隆起の現象などが元になってゐるとのことである。出雲風土記には、神様が陸地の一片を綱で引き寄せる話があるが、ウェゲナーの大陸移動説を彷彿とさせる。ヤマタノオロチは火山から吹き出す溶岩流の光景を連想させる。「身ひとつに頭八つ尾八つあり」は溶岩流が山の谷や沢を求めて合流あるいは分流する様子を表してゐる。また、天照大神が、神聖な機屋にゐて、神に献上する御衣を機織り女たちに織らせてゐたときに、速須佐之男命がその機屋の棟に穴をあけて、天の斑馬を逆剥ぎにして落とし入れたところ、機織り女はこれを見て驚き、死んでしまった。といふ話も、火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したのではないかと推察される。その後に続いて天照大神が天の岩戸を閉じて中にこもった話、「高天原皆暗く、葦原中国ことごとに闇し」は日食ではなくて、噴煙降灰によって天地が暗くなったのではないかと、寺田寅彦は言ふのである。言はれてみれば納得。大化の改新から現代までの日本の歴史はたかだか1500年程度かもしれないが、神話の時代は多分1万年以上あると思ふ。その間に原始の日本人は大きな災害を経験して、それが神話に盛り込まれたのではないかと想像されるのである。それほどの長いスパンでみれば、現代に災害の再来はありえぬ話ではない。神話の形をとって、後世の人々にメッセージを伝へてきたのではないかと思はれる。

Västra klockstapeln

 

戦争が拡大しませんように

2022-05-05 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 5 日>(友引 戊午 七赤金星)立夏 こどもの日 Gotthard Erhard 第 18 週 第 26755 日

 

「日本は平和の国だ。日本はよその国に侵攻したりはしない。だからよその国も同じように考へてくれて、どんな国も日本を攻めて来ることはないだろう」といふ見方がある。だが、それが如何に一方的で楽観的な見方であるかを、最近の世界情勢は見せつけてゐるように思はれる。「日本も敵の襲来に備へなければならない」さう思ふ人は多いと思ふ。けれどもここで気をつけなければいけないことは、コトの善悪の基準を相手のレベルで相対化してしまふ恐れはないかといふことだ。「相手があそこまでやるのだから、自分もここまでやって良いだろう」と思ってしまふ恐れが大きい気がする。その昔、西にクリミア戦争があり、東にアヘン戦争があった頃、日本は、欧米列強から侵略されてしまふのではないかと恐れおののいた。その真剣な恐ろしさの感覚は現代の日本人にはわからないかもしれない。日清・日露の両戦争を通じて独立を守った日本は、「欧米列強があそこまでやるのだから、日本もこれくらいやらねば競争に負けてしまふ」と考へて満州や南方へ拡大を図った。本来温厚であったはずの日本人がなぜそのようになったかと言へば、自分に課すべき掟を忘れて世界の風潮に染まったからだと思ふ。それが如何に間違ひであったかは歴史が示してゐる。今の時代も日本人の基本思考は変はってないと思ふ。防衛戦争と侵略戦争はどこにその境界があるのか誰にもわからない。戦争に正しい戦争などないのだ。「相手がやるのだから自分もやる」ではいけないと思ふ。日本は善悪の基準を自分のうちに確固として持たなければならないと思ふ。「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」といふ言葉もある。国際関係は君臣の関係ではないのでここに引用するのはをかしいが、どんな場合でも相手の非を問ふ前に自らを省みる態度が大事だと思ふ。日本は「和を以て貴しとなす」国である見本を世界に示さねばならないと思ふ。

Nyköping川にも若葉の季節が来た

 

フィーカ

2022-05-04 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 4 日>(先勝 丁巳 六白金星)みどりの日 Monika Mona 第 18 週 第 26754 日

 

「フィーカに来ませんか」とお誘ひを受けたので、同居人と行って来た。僕らがスウェーデンに引っ越して来て以来、なぜかとても親しくさせていただいてゐるご夫婦である。コロナの期間中はゆっくりと話すこともなかったが今年になって少しづつそんな時間が増えて来た。このお宅は家の中がいつも整然としてゐて、どの部屋もまるでモデルルームのように美しい。以前は郊外の大きな家に住んでおられたが、数年前に町のアパートにお引越しになった。大きな家から越されたから色々と大変でおありではないかと推察するのだが、そんなことは微塵も感じさせずに、きちんとして部屋の飾りつけなども美しい。これはやはりセンスの問題だと思ふ。比較するわけではないが自分のアパートはあまりにもものが雑然と置いてあって、何とかならないものかといつも思ふ。このようなお宅に呼ばれてみると、毎日綺麗な部屋で暮らすことはもうそれだけでひとつの大きな価値であることを実感する。如何に日々の住空間の美を求めるか。これは検討に値する大きなテーマである。ただ掃除だけしていれば良い問題ではないと思ふ。

夕暮れ

 

憲法記念日

2022-05-03 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 3 日>(赤口 丙辰 五黄土星憲法記念日 John Jane 第 18 週 第 26753 日

 

日本では今日、憲法記念日スウェーデンでは NATO への参加が日に日に現実化する方向に動いてゐる。スウェーデンの Magdalena Andersson 首相とフィンランドの Sanna Marin 首相はベルリン郊外でドイツの Olaf Scholz 首相と2時間半にわたって会談した。会談の内容は、両国が NATO に加盟することに関連してのものであった。もしその加盟が決定すれば、ロシアにとっては不愉快なものになる。NATO に加盟しない場合でも、ロシアが両国に攻めて来ない保証はないので、その事態に備へるなら加盟しておいた方が良いといふことかもしれない。ロシアのウクライナ侵攻がなければこのように展開することはなかったと思ふので、ロシアは自ら蒔いた種で孤立を深め、苦境に立たされたとも言へる。僕個人は、武力に対して武力で応じることは避けるべきであると思ふので、どちらかと言へば、NATO には加盟しない方が良いと思ふのだが、しかしそれは自分が蹂躙されても殺されてもひたすら耐へ忍ぶ覚悟がなければできないことなので、なかなか声高に言へない。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することはかくも難しいのが現実である。それを知った上で、やはり憲法は守られなければならないと思ふ。

憲法記念日に咲くスウェーデンの桜