Håll Sverige Rent-dagen

2021-09-18 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 12 日> (先勝 己巳 七赤金星) Orvar 第 37 週 第 26516 日

 

今日は「みんなでスウェーデンを綺麗にしませう」と云ふ日である。その気のある人たちが、自分の住む近所の周りの道ばたなどに落ちてゐるゴミを拾ひませう、と云ふ日である。Facebook Instagram に投稿するようになってゐたが、そのようなことはあまり得意でないのでやらなかった。が、ともかくもいつもよりは長い散歩にして、ゴミを拾って歩いた。僕と同居人は特にそのような声がかからなくても、毎日の散歩には道ばたのゴミを拾ふようにしてゐる。道に落ちてゐるゴミを拾っても気候危機への対策にならないことは分かってゐるが、少しでも地球を綺麗にすることは大事だと思ふ。色々な国がCO2削減の目標を掲げるなどしてゐる。それはそれで大事なことだが、そのようなことに頼っても気候危機は解消しないと思ふ。身近に住む人々の一人一人の心がけが大事なのだと思ふ。ところで、朝の散歩をした時に小さなリスが路上で倒れてゐた。自動車にはねられたのだと思ふ。可愛さうであったので、せめて道路の端に移してやろうかとも思ったが、交通事故にあった動物の処理については何かこの国の決まりがあったような気がしたので、その場はそのままで離れてしまった。少ししてから行ってみたら、もうリスの死骸はなくなってゐた。どこへどのように運ばれたのだろうか。ともかくも誰かが処理してくれたのである。

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図鑑を開いて見なくても毒キノコと分かります。

 

人口問題と貧困

2021-09-17 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 11 日> (赤口 戊辰 八白土星) Hildegard Magnhild 第 37 週 第 26515 日

 

貧困と格差問題を考へながら散歩をしてゐて、人口の増加が貧困の原因になってゐるのではないかと思ひ当たった。当たり前の常識なのかもしれない。それで、家に戻ってネットで検索してみると、やはりそこには密接な関係があると書いてあった。人口学の祖であるマルサスも「人口論」の中で、貧困の背景に人口増加があると述べてゐると云ふ。なるほどと思ふ。でも、現代の一般的な論調の中で貧困が人口問題に絡めて論じられることは少ないのではないかと思ふ。人口は制御できるものではないので初めから論外にしてゐるのだろうか。人手が足りないからと言って外国から労働者に来てもらふ政策は誤ってゐると思ふ。それは結局は人口を増加させることになるからだ。格差はさらに広がってしまふ。今ここにあるだけの労働力を前提にして成り立つ規模の経済社会を築けば良いのだと思ふ。そのような政策が結局は貧富の差の拡大に歯止めをかけうるのではないかと思ふ。

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目覚まし散歩は雨の中。やさしい雨であったので外に出てみた。

 

ナポレオンの帽子

2021-09-16 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 10 日> (大安 丁卯 九紫火星) Dag Daga 第 37 週 第 26514 日

 

昨日のスウェーデンのテレビニュースでナポレオンの帽子が競売にかけられるといふ話題を見た。ナポレオンは帽子をいくつ持ってゐたのか知らないが、どうもこの帽子は、最近になってナポレオンのものと分かったものであるらしい。このニュースを見て僕は阿刀田高の「ナポレオン狂」といふ小説を思ひだしてしまった。世の中にはナポレオンに関するものなら何でも集めたいといふコレクターが実際にゐるのかもしれない。そんな人たちが集まって、そのナポレオンの帽子に一体いくらの値段がつくのだろうか。10月にロンドンでオークションがあるといふ。ただ、阿刀田高の「ナポレオン狂」は、著者がナポレオンに心酔して書いたのではなく、確かゲーテに心酔して書いたのだが、あまりに恐れ多いことなので、対象をナポレオンとして小説に書いたのだといふ話をどこかで聞いたような気がする。が、これは僕の記憶違ひかもしれない。

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Nyköping川にかかる Kvarnbron といふ橋のたもとにある花壇

 

量子コンピューターが開くイノベーション

2021-09-15 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 9 日> (仏滅 丙寅 一白水星) Sigrid Siri 第 37 週 第 26513 日

 

毎日の日課としてメールボックスをチェックする。いつもは短時間で終はるチェックであるが、日経ニュースメールの記事の中に「量子コンピューターが開くイノベーション」とあった。Global Tech LIVE として午後6時30分から配信と書いてあった。早速それにアクセスしてみた。偶然見ることができる時間であった。内容は大変刺激的であった。量子コンピューターのことは時々新聞記事で見ることがあるが、その現状はどうであるのか、日本での取り組みはどうなのかといふことがよく分かった。僕は定年後はもうコンピューターの話など関係ないやと思って、その手の話題には距離を置いてゐたのだが、そんな僕でもなんだかワクワクするものを感じた。従来のコンピューターが「0」か「1」かしか取らないビットを単位にしてゐるのに対して、量子コンピューターは、量子ビットといふ、「0」と「1」の重なり合った状態を単位とするのであると言ふ。そんなことを言はれても何のことか分からない。でも分からなくても良いのである。分からないと言って立ち止まるのではなく、ミクロの世界ってそんなものらしいと思って先に進むことの方が大事かなと思ふ。僕のように優柔不断で、「どっちかはっきりしなさいよ、男なら」と叱られ続けてきた人間には救ひとなるような情報の単位ではある。ともかくも、そのような原理に基づく新しいコンピューター技術が今まさに実用化される時代を迎へてゐることがよくわかった。従来のコンピューターの展開がパソコンやタブレットスマホに延びて来たように、量子コンピューターが何か消費者のガジェットとなって現れることはないだろうと思ふ。量子コンピューターは万能ではなくて、従来のコンピューターを駆逐することはない。互ひに補完し合ふものと思ふ。量子コンピューターが得意とするところは巨大な組合せの中から最適なものを一瞬で選び出すような技である。従来の科学者は、失敗したと思った実験の中に実は新発見が潜んでゐたと言ふことがある。だが、そのような偶然の発見は全てコンピューターの上で予見される時代がくる可能性がある。新素材の開発、創薬、金融のシミュレーション、消費者自身には自覚されないかもしれないが、その新しい技術の大きな恩恵を受ける時代は確実に、もう目の前にやって来てゐることを感じた。

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ゆっくりとした雲の流れに目をやる

 

水上都市といふ発想

2021-09-14 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 8 日> (先負 乙丑 二黒土星)上弦 Ida Ronja 第 37 週 第 26512 日

 

二日ほど前の日経電子版で「水害対策に水上都市」といふ記事があって、興味深く読んだ。従来からも水害の多い地域では床を高くするなどの対策が施されてゐることもあるし、アジア南部や太平洋の島々には高床式住居があると思ふ。だから、基本的アイデアとしては斬新でもないのかもしれないが、水が引けるまでの2週間程度、最低限の非難生活が確保できる市街地を作る計画といふのはやはり新しいと思ふ。1階だけは柱だけの空間にした「ピロティ」を採用するといふ。2階にはライフラインを支へる機械・電気室、巨大な備蓄庫となる商業設備を設けるとある。なるほど。必ずしも「浸水対応型市街地構想」でなくとも、2階に機械・電気室を設けることは大事な考へだと思ふ。といふのも、一般のビルでは、機械・電気室は大抵地下に設置されてゐるのではないかと思ふ。地下が浸水してしまふと建物の電気が使へなくなる。福島第一原子力発電所でもディーゼル発電機が低い場所にあったために非常用電源として機能しなかった。機械・電気室の設備は重量物が多いので簡単に2階へはあげられないのかもしれないが、そのように設計することは防災の面から重要ではないかと思ふ。

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同じアパートに住む人の庭にホオズキがある。

 

ピアノの調律

2021-09-13 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 7 日> (友引 甲子 三碧木星) Sture 第 37 週 第 26511 日

 

約1年ぶりにピアノの調律をしてもらった。僕自身は音感が悪くて、多少音が悪くなっても気づかないのだが、調律を終へた鍵盤を叩くと、とても響が新鮮であった。このところずっとピアノの練習をやってない。もうやらないのだったら調律をしなくても良いのでは、とも思ふのだが、さうするとますます練習をしなくなってしまふ。それで調律を頼んだのである。毎日、指の運動のために、ハノンの初めの方の数曲だけでも練習できると良いのだが、と思ふ。しかしなかなかその気になれない。自分はもう老齢なのであれこれとあまり欲張ってはいけないと思ふ。たまに同居人が弾いてくれるのを聞くだけにしようか。

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雲が細くたなびく朝。今日は一日良いお天気であった。

 

1秒といふ時間

2021-09-12 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 6 日> (先勝 癸亥 四緑木星) Åsa Åslög 第 36 週 第 26510 日

 

朝が来る。やがて昼になり、夜になる。当たり前のことのように毎日このことを繰り返してゐるが、ありがたいことである。春が来て夏が来て秋が来て冬が来る。当たり前のことのように思はれるがありがたいことである。1年といふ時間、1日といふ時間。1秒といふ時間、これらは皆天体の動きと関連づけて決められてきた。1秒の長さは、昔は1日の長さの1/86400とされたこともあったが、現代ではセシウム133原子の電磁波を放射する時間間隔に基づいて定義される。この、恐らくは無限の広がりを持つ宇宙のどこかには、地球のような星があって、高度な知識を持つ生命があるかもわからない。けれども、彼らの時間単位の定義はやはり彼らの星の自転や公転の周期から決められるのだろうか。すると、我々が基本とする1秒の定義も恣意的なものかもしれない。長さの単位も同じだ。真空中における光速の値は 299792458 m/s であるとのことだが、これが切りの良い数字になるように時間と距離の単位が決められることもありうるかな。火星へ向かふ宇宙船の中では朝も夜もない、四季もない。そんな変化のない狭い場所、どれだけ時間が経ったのかもわからないような場所に長期にわたって閉じ込められるのは耐へられない気がする。宇宙飛行士は偉いと思ふ。

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どこをねぐらにしてゐるのか、よくウサギを見かける。少し近づいても逃げなくなった。