平家物語「徳大寺之沙汰 3」

2021-05-08 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 27 日> (大安 丙辰 五黄土星) Åke   第 18 週 第 26383 日

 

厳島の内侍たちは、「ここまでやって来たからには、私たちの主である太政入道殿へご挨拶に伺はなければ」と言って西八条へ参った。入道相国はいそいで出て来て、「おやおや皆さんは何のご用でお出でになったのですか」と尋ねた。「徳大寺殿が厳島までお参りになって、七日間おこもりになりました。お帰りになる時に一日の旅路だけお送りしたのですが、徳大寺殿は、それではあまりにお名残惜しい、もう一日路、二日路と仰せになって、ここまでついて来てしまひました。」「徳大寺殿は一体何のために厳島までも行かれたのですか」「大将に昇進させてほしいといふお祈りであると伺ひました。」すると清盛はなるほどと頷いて、「何と可愛い男だ、都には大変尊い霊仏霊社がいくらもあるといふのに、それらをさしをいて、私のあがめたてまつる神様のところへ参ってご祈願されるとは。こんなことは滅多にない志である。これほど切なる志であるならば」と言って、嫡子小松殿内大臣の左大将をやめさせて、徳大寺殿を左大将に昇格おさせになった。次男宗盛が大納言の右大将であったから、それをも超えた形になった。ああ、何といふめでたいはかりごとであったことだろう。同じ不平をかこつ身であっても、新大納言成親卿の場合は、謀反を起こして我が身を滅ぼし、その子息や家来たちまでひどい目にあっておしまひになった。何とも残念なことだ。成親卿もこのような賢明な計略を用いれば運命は大きく違ってゐただろうに。

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朝のうちは部屋で雨音を聞いたが夕方には晴れた

 

平家物語「徳大寺之沙汰 2」

2021-05-07 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 26 日> (仏滅 乙卯 四緑木星) Carina Carita   第 18 週 第 26382 日

 

来てみれば、厳島には優雅な女の人たちがたくさんゐた。七日間参籠したのだが、夜も昼も付き添はれて大変なおもてなしを受けた。七日七夜の間に舞楽も三度あった。琵琶琴ひき、神楽うたひもあり、實定卿も楽しいことと思し召し、神様に楽しんでいただくために、みづからも今様をお歌ひになった。郢曲(えいきょく)と言って、舞楽や神楽とは別のジャンルの、余興で即興に歌はれる歌(今様、朗詠、風俗、催馬楽など)のめづらしい曲もあった。今で言へばカラオケのようなものかもしれない。あの頃はコロナの心配もなかったし、、。内侍たちは寄って来て、「當社へ来られるのはいつも平家の公達ばかりですのに、平家ではないあなた様がお見えになるのもめづらしいことです。どんなお祈りのためにお見えになったのですか」と聞いた。「自分を超えて他の人に大将になられてしまったので、なんとかその大将にならせてほしいとお祈りしたのです。」とお答へになった。さて、七日の参籠が終はって、大明神にお暇して都に帰る時が来た。お名残惜しいですと言って、主だった若い内侍十余人を一緒に舟に乗せて、一日分の舟路を都に向かって旅した。内侍たちは「それではここで失礼します」と言ふのだが、「このまま別れてしまってはあまりに名残惜しいですよ」と實定卿は言ひ、「もう一日の旅路をご一緒に」「もう二日の旅路をご一緒に」と言った次第で、都まで連れて来ておしまひになった。徳大寺殿の亭にご案内して、様々におもてなしをし、贈り物など与へてお帰しになった。

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この2羽のウサギは時々家の前までやって来る

 

2033年問題

2021-05-06 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 25 日> (先負 甲寅 三碧木星) Marit Rita   第 18 週 第 26381 日

 

地球といふ星は本当にうまくできてゐるなと、色々なところで僕は感心する。地球のどこに感心するかをひとつづつ数へれば面白いかもしれない。その感心することの中から、思ひつきでひとつだけあげると、およそ365日で1年が巡るといふことである。これは円を1周した時の角度360度に近い。大雑把に言へば1日が過ぎる間に地球は1度だけ公転を進めるのである。偶然なのかもしれないがこれは大変に素晴らしい偶然だと思ふ。日本の暦には二十四節気があるが、地球が太陽の周りを15度進むごとに節気が変はる。大体は15日で新しい節気を迎へる。ちなみに昨日が「立夏」であった。太陰太陽暦は、月の満ち欠けの周期を元に暦月を決めるのだが、それだけであると何年かするうちには季節が合はなくなる。それで、2年または3年に一度ほど閏月を挿入する。その年は13ヶ月になる。この閏月をどこに入れるかを決めるのが二十四節気であるとも言へる。しかし、太陰太陽暦はあまりにもその運用期間が長かったからといふものか、2033年には日付を決められない状況に直面することが懸念されてゐる。明治政府は明治6年にそれまでの太陰太陽暦をやめて太陽暦を正式採用した。それ以降は人々の実生活では太陽暦しか使はないので、もはや太陰太陽暦は不要だと思ふ人もあるかしれないが、太陰太陽暦がないと大安や仏滅などの六曜も決められないことになるし、古典文学の中に現れる暦の季節感が捉へにくくなるのではないかと心配である。最近は毎年のように、地震だ、津波だ、火山だ、異常気象だ、疫病だと災害が続いてゐる。太陰太陽暦が行き詰まることがあっても、どうぞ地上の生命に平安な日々が続きますようにと、祈らないではゐられない。

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今日も雲が垂れ込めて気温は低かった

 

休みの一日

2021-05-05 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 24 日> (友引 癸丑 二黒土星)こどもの日 立夏 Gotthard Erhard   第 18 週 第 26380 日

 

立夏でこどもの日の今日、スウェーデンでは雨が降った。立夏にしては冷たい雨であった。たとい異国の地にあっても、どこまでも日本人である僕は、日本が祝日であればもうそれだけで気が緩んでしまふ。だらけてしまふのはこの頃の傾向ではあるのだが、今日は特に気が緩んだ。日課の散歩にも出かけなかった。前もって「この日は休み」と決めておいて、その日が来てその予定通りに休むのなら、それは僕にとって本当の休みにはならない。予定の行為であるからだ。その日が来て、本当は休むつもりなどなかったのにズルズルとその場の雰囲気で休んでしまふ時、本当の意味で休みになる気がする。その点、同居人は偉いところがある。予約してあった洗濯室へ行って、今日はシーツの洗濯などやってくれた。ネットで購入した新しいパズルを一昨日に始めたが、僕はそれを時々やって過ごした。ゆっくりさせていただいて申し訳ない気がする。

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スウェーデンの桜は開花期間が少し長い気がする

 

平家物語「徳大寺之沙汰 1」

2021-05-04 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 23 日> (先勝 壬子 一白水星)みどりの日 下弦 Monika Mona   第 18 週 第 26379 日

 

ところで、徳大寺の大納言實定卿は、本人も周囲の人たちも、大将の地位を継ぐのは自分であるとばかり思ってゐたのだが、平家の次男宗盛卿に持って行かれてしまった。それでその後しばらくは家に引きこもって、怏々と楽しまぬ日々を送り、周囲には「出家したい」と漏らされるご様子であった。諸大夫や侍どもは「どうしたものだろう」と嘆きあった。そんな人たちの中に藤蔵人重兼といふ諸大夫がゐた。色々なことによく気がつく人である。ある月の夜のことであった。實定卿は南に面した格子を上げさせて、ただひとり月を愛でながら、何か口ずさむようなご様子であった。重兼はお慰めしようと思ったのだろうか、そのお近くまで参った。「誰だ?」「重兼でございます。」「何かあったのか?」とお尋ねになるので、「今宵はことに月冴えた夕べでありますので、心の赴くままに出て参った次第です。」と答へた。「殊勝なことよ。よく来てくれた。何となく心細くて寂しいところなのだよ。」それから何といふこともないよもやま話をして實定卿のお心をお慰め申し上げた。そのうちに大納言は言はれた。「つくづくこの世の中のありさまを思ふに、平家の世はますます盛んになる一方であることよ。入道相国の嫡子重盛、次男宗盛は既に左右の大将になってゐる。そのすぐ後には三男知盛、嫡孫維盛もゐることだ。それらの人たちが順々に大将になって行ったら、平家でない人たちはいつになれば大将の位につくことができようか。かうして、どうせおしまひには出家することになるものなら、もうこの辺で出家しようかのう」これを聞いて重兼は涙をハラハラと流して申し上げた。「實定卿がご出家なされば、御家来の人々は皆路頭に迷ふことになります。私にひとつ考へがあります。安藝國の厳島神社へ参って、昇進の祈誓をなさってはいかがでせうか。といふのも、あの神社を平家の人々は大変にあがめ敬ってをります。七日ほどもご参籠になれば、あの社にはお仕へする優雅な舞姫(内侍)がたくさんゐます。「めづらしいご参拝客ですこと」と言って、おもてなしを受けると思ひます。「どんなご祈誓のためにご参籠なさったのですか」といふ話題になるでせうから、その時はありのままをお話しになれば良いと思ひます。都に帰る段になれば内侍たちはきっと名残を惜しみますでせう。そしたら主だった内侍たちを都まで連れてきておしまひなされ。都まで来てしまへば内侍たちはきっと西八条の清盛様にご挨拶に行くでせう。清盛様から「徳大寺殿はどんなご祈誓のために厳島へお参りなさったかな」とご質問があれば、内侍たちはありのままにお返事を申し上げるに違ひありません。入道相国殿は特別に感激しやすいお人ですから、「私があがめる神様に参って祈りをされるとは嬉しいことよ」と言って、悪いようにはなさらないのではないでせうか。」と申し上げた。徳大寺殿は「これこそ思ひもよらぬことであったぞよ。滅多にないうまいことをよくも思ひついてくれたな。すぐにもお参りに行かうぞ」と言って、にはかに精進を始めて、やがて厳島へ赴かれた。

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Nyköpingshus の近くで

 

Duolingo の 365 日

2021-05-03 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 22 日> (赤口 辛亥 九紫火星)憲法記念日 John Jane   第 18 週 第 26378 日

 

毎日 Duolingo といふアプリで語学の勉強をしてゐる。スマホタブレット上ではなくコンピュータ上で学ぶ。今日はその365日連続学習を達成した。毎日続けることでも、もしサボる日があれば、サボった分を翌日や翌々日にまとめてやる方法もあるかしれないが、機械で学習すれば、その日の内にその日の分をこなすことができなければ連続記録は達成できない。これはチトきつくて、旅行などに出ると、そのような時間を 24 時間以内に見いだすのは難しい。今日365日連続を達成できたのはコロナのおかげでいつも家にゐたからだと思ふ。Duolingo では主にスウェーデン語を勉強するのだが、スウェーデン語は全教材を一通り終へた。それで元に戻って適当に繰り返しの勉強をするのだが、それでも、まだよく間違へる。また忘れてゐることもたくさんある。1日1レッスンに限定してゐる。この頃は試しに、フランス語と中国語もかじってみる。この年齢で始めてもものにならないとは思ふのだが、一応やってみる。これもそれぞれ1日1レッスンにしてゐるので、合計で1日3レッスンになる。あまり楽しくはないのだが、これも修行のうちである。語学の学習はこの他に英語もやるが、英語の場合は Duolingo ではなく、HAPA 英会話でやるようにしてゐる。今週はGWで教材の配信が休みなのでホッとしてゐる。どこまで続けられるかは分からないが、なるべく続けたい。

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春の Nyköpingshus

 

平家物語「大納言死去 4」

2021-05-02 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 21 日> (大安 庚戌 八白土星) Filip Filippa   第 17 週 第 26377 日

 

配所・備前国有木の別所で辛い毎日を送られた大納言・藤原成親であるが、安元3年(1177年)8月19日に、つゐに殺されることになった。場所は備前・備中両国の境、庭瀬の郷、吉備の中山といふところである。そのお最期の様子が色々な噂になって都にも伝はった。酒に毒を入れてお勧めしたのだが、その方法ではうまくいかなかった。6メートルほどの崖の下に、二股に分かれた鋭い刃物を立てて、上から突き落とされ、その刃物に貫かれて殺されておしまひになった。全く残酷な話であった。このような処刑の方法も少ないように思はれる。

大納言北の方は、大納言がもうこの世に亡き人とお聞きになると、「どのようにしてでも、もう一度、夫の無事な姿を見もし、また自分も見てもらひたいものと思ひ続けてきました。だからこそけふまで髪をおろさずにゐたのです。今となってはそんなことも虚しくなりました。」と言って、菩提樹院(左京区神楽岡の東にあったとされるお寺)で髪をおろし、決まったやり方のとおりに仏事をいとなみ、大納言の後世を弔ふ生活をなさるようになった。この北の方といふ人は山城守敦方の娘である。大変にお美しい人で、後白河法皇のご最愛ならびなき思ひ人であられたのだが、成親卿があまりに優れた寵臣であったことから、譲り受けられたと言はれてゐる。幼き人々も花を手折り、閼伽の水を結んでお父上の後世を弔はれる様子は哀れ深いものであった。このように時移り事去って、世の中の変はって行く有様は、天人が死ぬときに現すといふ五つの死相に変はらないものであった。(「時移り事去って」といふ表現は長恨歌の「時移り事去り、楽しみ尽き悲しみ来たる」を踏まえる)

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散歩道にも緑が増えた